鉛の断捨離/『アウトレイジ最終章』を観てきた
台風も去り、青く澄み渡った秋空の下、とりたてて用事もないのでワールドポーターズ内のイオンシネマまで『アウトレイジ最終章』を観に行ってきた。
台風一過のハッピーマンデーに、登場人物ほぼ全員が死んでしまう『アウトレイジ 最終章』を観てきました。これからお米10kg買って帰ります。 pic.twitter.com/m0cLEObns3
— go-nirvana (@igomild) 2017年10月23日
足掛け7年を経て、この「全員悪人」シリーズが一応の完結ということになるらしい。
内容は、チラシのコピーにあるように、「アウトレイジ(極悪非道)たちの、壮絶な権力闘争」だが、今回おれの抱いた印象は「壮絶な権力闘争」と言うより、「壮絶な断捨離」あるいは、「究極のミニマリズム」というようなものだった。
断捨離もミニマリズムも、要するに自分らしく生きるために不要なものを削ぎ落としていくことであるなら、このシリーズの主人公・大友は究極のミニマリストだと思う。
そして、その他の登場人物は、すべて、大友とは対極のマキシマリストだ。
今作に限らず、この「アウトレイジ」シリーズは、どこまでも欲深く、どこまでも疑ぐり深い男たちと、カネにも権力にも、そして、自分にさえ興味のない大友のコントラストによって構成されている。
そう。大友は「自分」というものがない。
断捨離の目的のひとつに、「不要なものを捨て、自分軸で生きる」というものがあるが、それでは大友のような、自分がない人間の自分軸とは一体何かと考えると、概念あるいは信念のようなものだろうかと思う。
まず思いつくのは「任侠道」だが、大友の行動はいわゆる任侠道からはかなり逸脱している部分があるように見える。
しばし黙考する。
いや、やはり大友は任侠道の徒なのだと思い直す。
むしろ道から外れているのは、大友以外の男たちすべてなのだと思う。
そして道から外れた男たちのほとんどは無残な最期をとげる。
鉛の断捨離。
道から外れながらもかろうじて生き延びた者たちはどこか色褪せて見える。
実は、この映画を観終わった直後、おれが感じたのは「生きるって寂しいことなのかもな」というようなものだった。
しかし、今は違う。
寂しいのは、自分軸で生きていないからだ。 自分軸で生きていない者たちを目にするから寂しいのだ。
おれは世界のキタノに「自分らしく生きて、死ね!バカヤロー」と言われたような気がしている。
もちろん幻聴だが。
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