ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

わしゃ、朝から『孤狼の血』を観てきたんよ

今日は桜木町のブルク13で封切りされたばかりの『孤狼の血』を観にいったんじゃ。

どねえな映画かちゅうと、広島の極道と警察の話じゃ。

アウトレイジ』とはまた違ごうた感じで、なかなか面白かったいや。

ストーリー自体も悪くなかったけど、これが広島弁じゃのうて、標準語で撮られちょったとしたら、まあ魅力半減じゃろうのー。

そもそもわしがこの『孤狼の血』を観てみよう思うたのは、YouTubeやら何やらで予告編を観て、役所広司他のキャストが広島弁を喋りよったからじゃ。

わしゃ広島の隣の山口の生まれじゃが、山口もまあ大体似たような言語圏じゃけえ、親しみやすいちゅうんかの、ホッとするちゅうんか、まあ刷り込まれた安定感みたいなもんを映画の間中ずっと感じることができたいや。

石川啄木のなんじゃったかいの?故郷の訛り懐かし停車場のとかいう歌があったじゃろう。あんとな心境に近いんかもしれんの。

他の人のことは知らんが、わしが横浜に出てきた当時は、横浜弁ちゅうか標準語ちゅうか、自然に話せんで苦労したいや。

テレビでしか聞いたことのない言葉を喋るちゅうことに気恥ずかしさちゅうか、まあ抵抗があったんじゃろうのー。

まあ地方出身者にはようあることじゃろうとは思うが。

ちなみに標準語に対する抵抗感がのうなるまで7〜8年くらいかかったかのう。

今じゃ標準語と山口弁のバイリンガルじゃ。あと英語をマスターしたら完璧じゃ思うちょる。

余談じゃが、山口弁とイタリア語は語感がなんとなく似ちょるけえイタリア語も勉強してもええかもしれん。

そりゃそうと、映画の話じゃったのう。

まあそういうわけで、今朝早起きして、今日は何しようかの、おおそうじゃ、『孤狼の血』を観ようと考えたわけいや。

で、iPhoneのアプリで時間を確認して、席を予約してカードで精算して、「おお便利な世の中じゃのう」と呟いて桜木町に向かったんよ。

あとは、劇場の発券機で取得したバーコードをかざしてオッケーじゃ。暴対法施行以前の昭和末期の日本じゃ考えられん進歩じゃ。逆に今の世の中から「昭和」を見たら色々と考えられんことが山盛りじゃ。

昭和にノスタルジーめいたものを感じんこともないが、やっぱり、わしゃ今の時代の方がずっとええ時代じゃ思うちょる。

人は懐かしさだけで生きるようにはなっちょらんのよ。

まあどねえな時代じゃろうと、ええ時代にするかつまらん時代にするんかは己次第じゃ。

今を嘆くヒマがあるんじゃったら、ストーンズの「She was hot」を10回聴いた方が有益じゃ。

おお、そうじゃ、映画の話じゃったのう。

まあ全篇、広島弁と暴力のオンパレードじゃ。 わしゃ、観ながら、何度も「おお、痛かろうの。わやするのう。そんとばっかりしよったらバチが当たるで」とか思うたいや。

詳しい内容はネットで検索してもろうたらええじゃろう。

映画『孤狼の血』公式サイト

まあこの手の映画は、だいたい「熱い男」とか「オス」とか「闘い」とか、マッチョ感満載なイメージが前面に出されるもんじゃが、わしは、なんでこの男らがそういう世界に入ったんかちゅうことに思いが行って胸が痛んだいや。

描かれた暴力の底に確実にある、描かれんかった貧困やら差別やらに心が揺さぶられて胸が痛んだいや。

そういう意味じゃ、松坂桃李演じる大学出のあんちゃんが役所広司演じる大上に流れる「孤狼の血」を受け継ぐのは正直難しいじゃろうのとは思うたいや。

それでも、あんちゃんが吸わんかったはずのタバコにバッタもんのジッポーで火を点けたラストはえかったの。

じゃから、劇場出てすぐにわしも喫煙所に行って、ジッポーでタバコに火を点けようと思うたが、最近はIQOSじゃけ、プスっとカートリッジに挿して静かに吸うたんじゃ。