アナーキー•イン•ザ•JP
十七歳のにわかパンク少年にアナーキスト大杉栄の霊が憑衣したことから始まる物語。
そう言えば最近、ニーチェやインドの神様が現代の若者に憑衣する話もあったな…
語り口はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を意識してるのかな。
個人的には『なしくずしの死』のセリーヌのあの文体をを思い出した。
で、全体的におれが名付けるとすれば「憑衣文学」あるいは「アバター小説」って言えるのかも知れない。そんな言葉聞いたこともないが。
今、おれが作ったからだ。
この国は完全にロールモデルを失った。希望がないってことはそういうことなんだ。
と、いうこの物語の中で語られる台詞がおれが「憑衣文学」「アバター小説」と命名する所以だ。
ロールモデルを持たないがゆえに大杉栄やニーチェやインドの神様を自らに憑衣させて(アバター化して?)物語を動かしていく、こうした方法もまたひとつのロールモデルの提出ではあるのかも知れないが。
いや別に批判してるわけじゃない。どうだったかと聞かれれば「面白かった」とおれは言うだろう。
だからこそ「憑き物が落ちた後」「アバターが去った後」の物語をおれは読みたい。それがこれからのロールモデルの一つとなる筈だからだ。
(全篇を通して現代の世相を笑い飛ばしている風ではあるが、おれの胸に迫ったのはやはり大杉栄が虐殺されるエピソードだった…)