『クロッシング』
DVD『クロッシング』を観た。
北朝鮮の苛酷な現実に翻弄される父と子の物語に胸が痛む。
この映画を見終えて「父親とは何か?」という、おれにとっては何度もそしてこれからも繰り返すであろう問いを突きつけられた気がする。
父親とは何か?
当たり前だが、すぐに答えが出るようなものじゃない。
ただ、父親とは自らの偉大さを子どもたちに押しつけて崇拝を強要するような存在ではないことは確かだ。もしいるのならそれは父親を騙る何かだと深く思う。
ただこの映画では「父親とは何か」という問いがテーマではなさそうだ。
むしろ父親を超えた存在が重要視されている。それは何か?
この映画で何度も降る「雨」がそれが何であるのかを教えてくれる。
螺旋階段を上るようにこの映画における「雨」はその意味を徐々に変化させていく。まず最初は父と子の絆の象徴として描かれて、別の場面ではまるで神が流す涙のように、また別の場面では救済を象徴する慈雨として描かれている。
そして最後に主人公に降り注ぐ雨が、天国と地上は結ばれているのだと観るものに伝える。それはひとつの救済ではある。しかも一神教的な。
そう思いついたと同時にイラクやリビアのことが頭に浮かびこの映画に秘められているかも知れない激しさをついつい想像してしまう。
「父親」を騙ったものの末路を想像してしまう。
そしてまた最初の問いに戻るのだ。
父親とは何か?