されど私の人生/父性とは
蒸し暑さで目が覚める。 一人起き出してタバコを吹かし、台所の換気扇の下で大雨の音を聴いている。 新潟、福島はこの大雨で何万人にも避難指示だか勧告だかが出されているらしい。 雨粒は放射能より分かりやすいからなのかそれとも天災と人災の違いなのか行政の対応のスピードの落差を思いながら、昨日報じられた伊良部秀輝の自殺のことを考えている。 自殺の理由など他人には計り知れないことだ。 ただそのニュースを知って野球にほとんど興味のないおれが感じたのは、「父性の不在」だ。 聞くところによれば、彼は父親を知らず育ったらしい。 もちろんこのことが自殺の直接の原因ではないだろうし、自殺者のすべてが父親がいないということではないだろうが、何らかの一因はあるのだろうと感じている。 その一因とはつまり伊良部選手は生きる上でのロールモデルを持っていなかったのではないかということだ。 暴論なのかも知れない。 たかだか50年にも満たない人生しか知らないおれの偏見なのかも知れない。 だが、それでもこの思いは拭いきれない。 ロールモデルってそんなに大事なのかという考えももちろんあるだろう。 そう、実は大したものでもないのかも知れない。そんなもの幻想に過ぎないのかも知れない。 でもそれは何らかのロールモデルを持っているから言えることなのかも知れない。 ロールモデルを持たない者はそれを否定しようとしてもどうしようもない。 とても生きづらいことだと思う。切ないことだと思う。 おれは一体、何を言いたいのだろう。 …そう、父性というロールモデルは大切だ。同時に大したもんじゃない。 君はロールモデルを見つけることができる。それはすでに君の中にある。父性というのは自己認識によって現れうるのだ。 何だかよく分からない文章になってしまった…
伊良部選手のご冥福をお祈りします。
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