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ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。

読書 Diary

photo credit: DELLipo邃「 via photopin cc

ネットで村上春樹が新刊を出したことを知り、早速購入し一気に読了した。

いずれにせよそれは起きてしまった

大ファンというほどではないが、思えば村上春樹の本は大抵読んでいる。同時代を生きる者としてこの作家の紡ぐ日本語を知ることはそれなりに価値があると思うからだ。もちろん完全に理解したとは言い難い。それどころか読み終わって本を閉じた途端に自分は一体何を読んでいたのかという気にさせられるのが常だ。ただ、それを読む前とは何かが違うということだけは分かる。しかし何が変わったのかはうまく説明できない。とにかく何かが変わってしまったのだということだけははっきりとしている。いずれにせよ自分はそれを読んでしまった。それはある意味、取り返しがつかないことだ。村上春樹の小説中で起こる様々な不可解な出来事のように。

「いずれにせよそれは起きてしまったのだ。われわれは何とかその後を生きるしかないのだ」

あるいはこうしたスタンスを学ぶために自分は村上春樹の小説を読み続けているのかもしれないとふと思う。

取り返しがつかない生。思えば今、この世に生きている人間は等しくこの条件下にある。村上春樹はこのことを独特なそして不可解な寓話によって思い出させてくれる。

この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」もまた同様のトーンで描かれている。

再び、風の歌を聴け

突然の不条理とも言える喪失があり、激しい煩悶があり、道行きがある。その果てにわれわれはどこでもないどこかに連れていかれる。それは一見何も変わらない見慣れた場所だが、何かが違う。見慣れたはずのものがどこか奇異に映る。そして村上春樹は読む者の背中をそっと押す。背中を押されてほんの少しだけ歩を進める。すると、いままで見慣れていたつもりで見落としていたものたちが不意に目に入ってくる。聞こえてくる。風の歌が聞こえてくる。そしてたった今、読んだばかりの物語の一節を思い出す。

「何はともあれ、できるだけ自分に正直になるしかないだろう」

「正直になり、少しでも自由になるしかない」:p205

311以降、「いったい何が真実で何が真実でないのか:p229」判然としなくなった現在、完璧な共同体などないしケミストリーの温かみも喪った現在、このシンプルで平凡過ぎる言葉が胸に残る。まるで初めて耳にした言葉のように。そしてそれは今もおれの内部で反響している。

Posted from するぷろ for iOS.