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ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

2014年は「昭和」の終焉の始まりである、ような気がする

大晦日、NHK紅白歌合戦で和田アキ子が歌う姿を見ながら、なぜか切ない気持ちが湧き上がるのを感じた。

かつては、「ゴッドねえちゃん」としてお茶の間に知られた大物ぶりは影を潜めたかのように見えた。

その数日前に、同じNHKの2013年のニュースハイライトを眺めて感じたことが頭を過った。

もしかすると、この大物歌手は、「昭和」が本当に終わりつつあるのを感じているのかもしれないという気がした。

すでに過ぎ去って四半世紀も経っている「昭和」は実はまだ続いていて、それが今ようやく終焉を迎えつつある…

▼そんな妄想をしているところに、Twitter経由で以下の記事を見つけた。

日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。 | 境治

今の社会経済制度は1940年代に戦争を乗り切るために整えられたものがそのまま稼働している。戦後GHQ主導で新制度もできたが、実は"戦時体制"は温存された。日本の制度は戦後に一新されたと思われがちだがそうではなく、むしろ日本人の精神性まで影響するような制度は戦時につくられたものだった。

つまり、「昭和」とは戦時体制のメンタリティだということを意味する。

そうであるとするならば、NHKの番組に対して、自分が感じたことは、戦時体制への違和感でもあるのかもしれない。

生まれたときから、ずっと民主主義だと思っていたこの国の体制は実はまだ戦時のそれだったという見解は注目に値する、のだろうが、おれが抱いた感想は、正直なところ、「ああ、そうかもな…」というようなものだった。

なぜなら、今はすでにあの3.11の後の世界だからだ。

あの地震を契機として、この国のあらゆるひずみが一気に噴き出してきた感がある現在はある種の戦時体制のようなものだと感じているのはおれだけではないだろう。

詳しいことは、上記引用した記事を参照してもらうとして、要するにおれは、そんな「昭和」はようやく終わるのだというようなことを紅白で歌う和田アキ子を見て思ったのだった。

考えてみれば、和田アキ子 - Wikipediaというアイコンは戦後の昭和というある種倒錯した時代のひとつの象徴だったのかもしれない。

しかし、あの紅白ではそうしたオーラのようなものが感じられなかった。

淡々と歌を歌う一人のベテラン女性ボーカルだけがあった。

▼興味深いエピソードがWikipediaで紹介されている。おれの妄想もさらに広がる。

一緒に飲みに行った芸能人がテレビ番組などで、夜中に電話で呼び出される・毎晩飲みに誘われる・朝まで説教された・酒を飲んで暴れるというエピソードをよく語るが、和田は若い時はいざ知らず現在はそんな体力はない、「虚像の“和田アキ子”のイメージばかりが先行する。」と否定しながらも、「それが、“和田アキ子”のイメージならそれでいい。酒飲まない、暴れない、説教しない“和田アキ子”なんて“和田アキ子”じゃないんですよ。」と語っている。

Wikipediaより引用

つまり、2013年の紅白の舞台に立つ和田アキ子は、われわれが、おれが、勝手に思い込んでいた虚像としての和田アキ子ではなく、素に近い和田アキ子だったのでなないか。

おそらく、そうした印象がおれの中の「いまだ継続する昭和」というイメージと混ざり合い、ある種の切なさのような感情として浮かび上がった。

ところで、オワコンという言葉がある。おれは最近までその意味を知らなかった。「終わったコンテンツ」の略語らしい。

しかし、そうした用語を使うわれわれ自身の多くが、まだ「昭和」という「終わったコンテクスト」の内にあるというわけだ。

「昭和」は26年前に終わったコンテクストである。にもかかわらず、われわれの多くはまだその「オワコン」の内にある。継続していると思っている。継続させようとしている。

しかしそれもいよいよ終わる。「昭和」を取り戻すことは誰にもできない。

和田アキ子の歌う「今でもあなた」のあなたは「昭和」のことである。

切なさは、終わったコンテクストの残り香だ。

『今でもあなた』

今でもあなた 希望の光
瞼(まぶた)閉じれば 笑顔がそこにある
今でもあなたやさしい痛み
つらい時には抱きしめてくれる人
懐かしいぬくもり

作詞:秋元康
作曲:横健介