巡礼の記憶
朝から中華街近辺で所用があったついでに中華街を歩いた。
関帝廟の門もまだ閉ざされていた。
その先、山下公園方面に向かって進むと、『山下町公園』がある。実はここは知る人ぞ知るパワースポットらしい。
▲この木が、パワースポットの源なのだという。言わば中華街のご神木だ。
おれは、中華街を訪れる際には必ずこの公園に立ち寄ることにしている。
だが、残念ながらおれはその手の感度が鈍いのか実際のところ、パワーとか波動とかを感じたことはない。
そのくせ、パワースポットとか聖地とかになぜか惹かれる。俗人である。
そう言えば、熊野三山、出羽三山と2年連続で訪れたこともあった。
熊野と言えば、旧熊野本宮跡地の大斎原でゲートボールをしていた地元の年寄りたちを横目で通り過ぎ、熊野川で水浴びをしたことを思い出す。
真夏だった。
最初は足だけを濡らすつもりだったが、汗で濡れたTシャツを脱いで川で濯いだりするうちに、だんだんエスカレートして、最終的には全裸になったおれは熊野川のよく冷えた水に浮かんでいたのだった。おかげで灼熱の太陽に熱せられた体はたちまち冷やされた。その間に河原に干したTシャツはたちまち乾いた。これはおそらく大斎原のパワーの成せる技であったに違いない。
出羽三山巡りの思い出のひとつは、リュックを背負って県道を歩いていたら、燕市から来たというおじさんとおばさん2人が乗った軽自動車に乗せてもらったことである。リュックを背負って、サンダルを履いてヨロヨロ歩いている姿があまりにも不憫だったようだ。
(ちなみにサンダル履きでの月山登頂はお勧めできない)
以上のことからも明らかなように、やはりパワースポット巡り、聖地巡礼は必ず奇蹟が起こるということがお分かり頂けることと思う。
そして、今日、中華街を出るときも奇蹟は起こった。
関帝廟隣の中華学院から幼い子供たちが中国語で何かを唱和する声が聞こえたのだ。
もちろん内容は分からない。
ただ、それが何語であれ、子供たちの元気な声は聞く者にエネルギーを与えてくれる。
奇蹟とはつまり、そういうことだ。