聖なる雪
昨日は例年にない大雪で心が踊った。
途切れることなく降り続ける粉雪を見上げていると浮遊間に包まれる。
いつかどこかで見た雪の結晶の写真が脳裏を横切る。
同じ形の結晶はひとつとしてないという話を思い出す。
降り注ぐ雪の一粒一粒はみなどれも個性を持っている。
人間のようだとふと思う。
自分の住む横浜も20cm近く、あるいはそれ以上の雪が積もった。
雪は見慣れた街を一変する。
何の変哲のない風景はたちまち聖性を帯びる。
あらゆる交通機関は停止した。
日常とは脆弱なフィクションのようだ。
一夜明けてテレビは大雪のもたらす影響について立ち往生した車の映像や駅で足止めを食った人々のインタビューなどを挿んで注意を呼びかけていた。挙句の果てには雪道での歩き方まで紹介していた。
そうした諸々の「情報」もまたフィクションの一部のように思えた。
再び雪の結晶の話を思い出す。
確かにそれらはみな違った形だが、温度、湿度等の生成条件を限りなく同じにすればほとんどその結晶は同じような形となるという。
似たようなことなのかもしれないと思う。
共通の「情報」という生成条件によって本来それぞれ別物であるわれわれの個性は同じような形に結晶化するのかもしれない。
今日はあちこちで雪掻きに精を出す人々の姿を見かけた。
数日もしないうちに、雪は跡形もなくなり街はいつもの見慣れた景色となるだろう。
また見えない何かに覆われているいつもの景色となるだろう。