仏道の遺伝子/『全員で稼ぐ組織』レビュー
- 作者: 森田直行
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2014/05/29
- メディア: 単行本
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レビュープラスさんより献本いただきました。
本書のサブタイトルには、「JALを再生させたアメーバ経営の教科書」とある。
京セラの稲森和夫氏がJALの経営再建に乗り出したというのは、その手の話題にあまり興味のないおれもどこかで見聞きして知っていたが、その根幹であるらしい「アメーバ経営」などどいう言葉は今回、本書を通して初めて知った。
▼帯には、稲森氏の推薦の言葉が書かれてある。
「アメーバ経営」を知り尽くした著者による企業経営者必読の一冊である
アメーバ経営という言葉も知らず、企業経営者でもないおれはこの本を読むにあたって、まず「アメーバ」とはそもそも何かということから調べることにした。
▼調べると言っても、まあ、Wikipediaを検索しただけだが。
一般社会での用法
アメーバという語は本体以上に広く知られ、とにかく変幻自在な変な不定形の生物と認められている。そのために不定型なものをアメーバ的などという用法がある。 他にも、その増殖速度から、急激に拡大する事物の比喩として用いられることもある(「雨後の筍」とほぼ同義)。
そして、上記引用した説明にあるようなことをイメージしつつ、読み進んだ。
まず、本書は、「アメーバ経営」という「ノウハウ」つまり「情報商材」のパンフレットであると見ていいと思う。
この「情報商材」のメインターゲットは推薦文にもあるように、企業経営者である。
そうした情報を、おれを含めた企業経営者ではない人々が読んで、何の意味があるのかという疑問を抱えつつ、「いや、それでも何かしら得るものはあるだろう。あればいいな。あって欲しい」と自分に言い聞かせ、「何事も知らないよりは知った方がいいはずだ。でも知らぬが仏という言葉もあったな…」などという思いに揺れながら、たった今、読了したところだ。
ここ近年、視力低下に悩まされている身ではあるが、おぼろげながら見えてきた「アメーバ経営」とは、全体を「アメーバ」と呼ぶ小グループに分割し、それぞれのリーダーが各自のアメーバを経営していくことで、結果的に全体の利益拡大を目指す経営手法だという。→部門別採算制度
そして、この部門別採算制度によって、社員の自発性、経営マインドが活性化される。結果として、組織全体に一体感が生まれ、従来の労使関係から「パートナーシップ」の関係へと移行していく、ということのようだ。このあたりは、賛否分かれるところだろうが、おれはこのシステムが真に、健全に運営されるなら、悪くないと思う。逆に、会社はあくまで自分個人の所有物であるというような考え方をする経営者にかかれば、カルトチックな組織へと変質してしまう可能性も若干ながら感じることは感じる。
それゆえに、「アメーバ経営」は土台となる精神教育を重視する。「フィロソフィ」と呼ばれる理念が徹底的に叩き込まれる。
叩き込まれると言っても、かつて話題となった戸塚ヨットスクールや新人教育に名を借りた洗脳などとはまったく違う、「人としてあるべき姿」を目指すものだ。
例えば、「損得よりも、善悪で判断する」、「利己心ではなく、利他心であるか」など。
これは言うまでもなく、かつて臨済宗の寺で得度を受けた稲森和夫氏の生き方からすれば、自然な道理に違いない。
白隠禅師は、「動中の工夫、静中に勝こと百千億倍す」と言われたというが、この「アメーバ経営」とはあるいは、稲森和夫氏の仏道、禅の実践と捉えられないこともないような気がする。
だからと言って、「アメーバ経営」は実利を軽視するわけもなく、客観的な成果も出している。
ここで、おれは、スティーブ・ジョブズも禅宗に傾倒していたことを思い出す。
そして、現代ビジネスにおいて「成功」をおさめるためには、禅の教えはかなり大きな影響力を持つのかもしれないと思うが、これは何を見ても禅を思い出すおれの早とちりなのかもしれない。
まあそれはそれとして、この経営手法は各所に「禅的」な考え方、自力の思想がちりばめられている印象はある。
例えば、「予算」という言葉は使わない。与えられた側は、与えられた「権利」と思い込んで、利益が未確定にも関わらず決められた通りに使われるだけだから、これを「計画」という言葉に改める。そうすることによって、「予算」を使う側に責任の自覚が生まれる。どこかの国の政治家や官僚に聞かせたい話だ。
あるいは、「トレードオフ」の否定。
私もJALの幹部の話を聞いていて気になったことがあります。それは彼らが「トレードオフ」という言葉をよく口にしていたことです。「Aをやるのはいいと思いますが、その代わりにBが犠牲になります」という意味で使うわけです。おそらく、以前のJALでは、何か新しいことをやろうという案が出ても、トレードオフという言葉を持ち出せばやらずに済む理由になるし、…〜中略〜…もし、京セラグループの社員がトレードオフという言葉を口にしたら、周囲から「両方ともやるに決まってるだろ」と一蹴されて終わりです。
まさに、風吹不動天辺月である。まさに、禅的である。
そんな禅的経営手法は、今やアジアへも次第に波及しているのだという。こうした経営マインドがアジア各国の企業経営者に共有されるようになれば、かなりのインパクトがもたらされるだろう。
「集団的自衛権」がどうしたと連日報道されているようだが、今後の日本のためには、おれはむしろ「アメーバ経営」という「集団的自営権」を考えることの方が得策だと思うが、残念ながらそういうことを嫌がる人たちはかなり存在しているのだろう。
何しろ、「アメーバ経営」は、権限のあるところがそれに見合った(利益)責任を背負うべきである、というフィロソフィを持っているからだ。
ふと、仏道グローバリズムという言葉が思い浮かぶ。