ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

田谷の洞窟探訪

たづね入る 心深くば みほとけに あいなむ ここは 観法の洞

早起きしたにも関わらず、PSPを弄り始めた息子に声をかけて栄区にある田谷の洞窟に行ってきた。

f:id:go-nirvana:20140712142620j:plain ▼写真の栞裏面の解説

詳しくは田谷山瑜伽洞と称し、もと鶴ヶ岡廿五坊の修禅道場である。鎌倉時代初期開創た伝へられ、江戸時代に至るまで適時拡張されて上下三段、延長一粁余の壮大な規模となった。そして本尊一願弘法大師をはじめ四国、西国、秩父、坂東各札所、両界曼荼羅諸尊一八羅漢等数百体のみ仏が今も無言の説法をつづけている。地質は粘板岩の巨大な一枚岩で幾度かの大地震にも見事に耐へている。また合理性を備へた構造からは往時の土木技術の一端がうかがわれ、その点からも貴重な存在である。寂静の洞内にいまなお残る無数のノミ跡は往時の久修練行を物語りつつ巡拝者の深奥にひそむ浄菩提心の開花を願っているようである。

そういうわけで、iPhoneGoogleマップのナビ機能を起動し、イヤーポッドをつけてバイクを走らせた。

何も考えることなく、ガイダンスに従って走るうちに風景は日本中のどこにでもあるような地方都市のそれに変わり、畑と産廃処理業者の看板などが散見されるようになる頃、目的地の真言宗定泉寺に到着した。

拝観料は大人400円、小学生100円。受付でローソク1本を渡される。

洞窟の入り口にあるローソク立てに渡されたローソクを刺し、その明かりを頼りに洞内を進むことになっている。

と言っても、所々電灯が点いているので、なくても困らない。

むしろ、灯したローソクの炎が消えないように、慌てずゆっくり歩きなさい、ということなのかもしれない。

洞内はヒンヤリとした冷気に包まれて心地いい。

通路の両側に様々な仏や梵字が刻まれている。

基本的には、鎌倉の長谷寺の洞窟と似たようなものだ。実際には違うのかもしれないが、おれにはよく分からない。昔、ネスカフェゴールドブレンドのCMで、「違いの分かる男」というコピーがあったが、おれはちょうど真逆であった。そうした傾向は年を取るにつれ顕著になっていく。あれとこれ、右か左かというような区別がどうでもよくなってくる。おれの数式から不等号が剥落していく。頭の中で、ゴールドブレンドのあのメロディが流れる。おれは声に出さず「おれ、違いの分からない男」と呟く。

気がつけば、おれと息子は「奥の院」にたどり着いた。そこに彫られた亀は見事だった。息子は窪みに溜まった水溜まりにはまった。サンダルだし、夏だから問題ないし、そもそもそんなこと気にするなとアドバイスしておいた。

洞内は撮影禁止ということなので、印象を伝えるしかないが、帰宅してこれを書いている端から、その印象さえも曖昧になっていく。それはちょうど夢のようだ。夢から覚めた直後は、鮮明に覚えていたのにだんだんあやふやになっていくあの感覚と似ている。

そういうわけで、洞窟巡りなど、「現実的」には無意味に近い行為だが、それはあくまでも極々狭い領域から見た時の話で、実は大いに「意味ある行為」なのかもしれない。

そもそも休みの日に、いわゆる意味ある行為などするものではない。

帰宅してすぐに息子は友だちの家に遊びに行ったが、なぜ自分が洞窟に連れて行かれたのか意味不明だったことだろう。

おれもよく分からない。

ただ、そういう洞窟があると最近知ったから、行ってみようと思って、そうしたに過ぎない。

これからも、機会を見つけて、子供には意味不明な、できる限り無計画なことをしてやろうと思っている。

ちなみに、今回訪れた田谷の洞窟は知る人ぞ知るパワースポットなのだという。おれは知らなかった。

知らなかったが、そう言われてみれば、パワーがチャージされたような気もする。

そして、漲るパワーのせいか眠気に見舞われてきたので、これから昼寝をしようと思う。

パワーチャージどころか、単に疲れただけではないかと思えるかもしれないが、それはあなたが肉眼で見ているからだ。肉眼でしか見てないからだ。

大野百合子さん、Denaliさん達と田谷の洞窟へ|イージー・ゴーイング 山川健一

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