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ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

Once I was there...

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「モーニング・ページ」というある種の自己省察法というかメソッドというか、そういうものがある。特別変わったことではない。自分の頭の中にある(と思われる)言葉をひたすらノートに吐き出す作業だ。それを朝起きてすぐにやる。何よりも先に言葉を吐き出す。どんな言葉でもいい。言葉ですらなくてもいい。とにかくノートを開き、書く。頭の中に溜まった澱を排出するこの作業を続けることであなたはやがて自己を回復するだろう。

というようなことを知ったのは一体何年前のことだろう。4年?5年?それ以上前?

思い出せない。思い出せないがそれは大した問題ではない。昔の手帳を見れば分かるだろうが、それを特定することにはあまり意味はない。昔、「モーニング・ページ」というものを知って、今それを思い出したということで充分だ。

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今、これを書いているのは夕方だが、何か書いてみようと思ったときに「モーニング・ページ」のことを思い出した。何か澱のようなものが頭の中に溜まったということなのだろうか。特に何の話題も思いつかないのにこうして書いている。書きながら何を書こうかと考えている。うろ覚えだが、「モーニング・ページ」においては何も考えずに書くことを推奨していたはずだ。それは「思考の検閲」を受けないためなのだみたいなことを言っていたと思う。「言っていた」といっても、実際に誰かから聞いたのではなく、本にそう書いてあった。つまり、本がそう言っていた。もしかすると、「思考の検閲」という言葉は別の本、例えばケルアックの本で読んだのかもしれないが、要するにそういうことだ。しかし、「思考の検閲」をすり抜けることは至難の技ではないかという気もする。何かを言葉で表象する段階で思考はすでに、働いているのではないかと思うが、違うのだろうか。まあどちらでもいい。少なくとも今は。ただ、浮かんでくる言葉を書いてみる。

今日もまた午前中に仕事が片付いたのでコタツに潜り込んでYouTubeを観ていた。ここのところ午後はヒマだ。ヒマだが退屈は感じない。そう言えば、ここ何年も退屈というものを感じた記憶がない。退屈だからYouTubeを観ていたのだろうかとも思うが、少し違うような気もする。YouTubeを観ようと思ったからYouTubeを観たのだ。喉が渇いたから水を飲むのと変わらない。自分の中で退屈という感情がいつの間にかなくなっている。退屈とは一体どんなものだったのだろう。今、目の前にiPhone付属のイヤホンが絡まった状態で転がっている。その絡まり具合を見ているだけで退屈しない。おれはまったく退屈しないが、これを読んでいる人は退屈するかもしれないとは思う。お前は何を言いたいのだとおれの「思考」が「検閲」を始める。お前は何を書くつもりだとおれの「思考」が「検閲」する。おれはその「検閲」も言葉に書く。なぜならこれは夕方のモーニング・ページだからだ。そう書いたおれはこの記事のタイトルを『夕方のモーニング・ページ』に変更しようと思う。そしてサザンオールスターズの『夕方Hold on me』という曲を思い出す。

夢でいいじゃないか 今にもYou gotta hold on me

そして少し前に届いたメールのことをまるで数年前の出来事のように思い出す。昔の仕事仲間からだった。最近仕事を辞めて新しい仕事を探しているのだが、なかなかうまくいかない。失業手当が出るのもしばらくかかりそうでヤバいッスというような内容だった。何かしてあげたらいいのかもしれないが、元々アル中気味で依存傾向のある人なので、「仕事なんてすぐに見つかるよ」と返信して近所のスーパーに葡萄を買いに行った。彼のような人にこそ、「モーニング・ページ」は有効なのだろうと思うが、そういう人に限ってその手の話にはなぜか耳を塞ぐ。これまで「モーニング・ページ」こそ勧めなかったが、何度かアドバイス的なことを話したが、すべてスルーされた。別にそれで腹が立ったわけでもないが、スルーすることが本人の選択なのだろうとは思った。はたから見ていて痛々しい気はするが、肝心の本人がその痛々しさと同一化してしまっている。それを持論だと思っているようだ。それをプライドだと信じているようだ。こうした人はかなりの数いるのだろうという気がする。この前会った別の知人からは、現代日本は武士道が廃れていると聞かされた。新渡戸稲造の「武士道」こそ日本人の理想なのだと聞かされた。おれはその話を聞きながら、大島渚の『御法度』を思い出した。三島由紀夫を思い出した。ピュリティについてボンヤリと思った。悲惨な最期を遂げた白虎隊のことを思い出した。まだ年端もいかない若者たちが敗走したという薄暗い水路を見たことを思い出した。今、世界中の若者たちの数パーセントが、イスラム・ステイツに惹かれるのは、「ピュリティへの希求」にあるのかもしれないと思った。武士道を決定的に駄目にしたのは戦後教育なのだと彼は主張した。おれが、戦後教育というより西南戦争ではないだろうかと言うと、彼は西南戦争は武士道の終わりの始まりではあるが、決定的な元凶はやはり戦後教育なのだと言うのだった。そうかもしれないが、そうでないかもしれない。個人的にはどちらでもいいのだが、彼にとっては重要な問題らしかった。そのときのおれにとっての重要課題があったとすれば、そんな彼の話を聞くことだった。おれの重要課題は刻一刻と変わる。そんなおれの今の重要課題は武士道でも仕事探しでもなく、洗い物を済ませ夕食のために米を研ぐことだ。

退屈はしない。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。