ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

6 plusがやってきた!ヤァ!ヤァ!ヤァ!

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そんなこんなで、ようやくiPhone 6 plusを手にすることができた。

シルバーの64GB

開封の儀…は特にない。最近では「アンボックス」とも言うらしい。

そうは言っても、まあ2年に1回あるかないかの「イベント」であることだし、ちょっとやってみてもいいかもとチラッと思い、まずは外箱の写真を撮ったものの、開封までに、あと何枚の写真を撮らなくてはならないのかという虚無感に見舞われたおれは直ちに撮影を中止して、iPhone 6 plusを直ちに箱から取り出し、直ちにMacに繋いだ。

あとは、Softbankショップに行く直前に、iTunesで取ったバックアップから復元するだけだ。

が、しかし…まったくiTunesが、6 plusを認識しない。認識しないというか、「今の私には、あなたが繋いだ6 plusとはお付き合いできません。私にはその資格がありません」みたいなアラートが出るのみだった。

なぜ?ホワイ?言ってる意味がわかりません。

「私が最新の状態だったなら…」

そうか、わかった。おれは直ちにiTunesのアップデートの状況を確認してみた。

最新だった…

なぜ?ホワイ?

おれはしつこく同じことを繰り返す。しかし、iTunesはつれない。

粘着体質ではないおれは諦めて、iPhone 5 のバックアップをあらためて、iCloudで取ることにした。いつまでもウジウジ悩んでも仕方ない。『It's only rock'n roll』でミック・ジャガーも歌っている。

And do ya think that you're the only girl around?

そんなこんなで、バックアップに小一時間。それを復元するのに、さらに小一時間かかって、やっと、6 plusがこれまでと同じように使えるようになった。

ただ、iTunesが認識されないということは、iTunesに入っているが、iPhoneには入れてない曲が入れられないということだ。

由々しき事態である。

これは何としても解決すべき問題であるので、何とかしたいのだが、そういうことにほぼ完全に無知なおれにはなす術もない。

だからおれはとりあえずこの思いのたけを、このはてなブログにぶつけることにしたわけだが、そのはてなブログのアプリを開いた途端に別の驚きに見舞われた。

この「らくらくホン」っぷりは一体何だ。 確かにここ近年視力低下が著しいおれだが、ここまで大きな文字はまだ必要ない。まだまだ元気なのに席を譲られた年寄りになった気分だ。実に大きなお世話だ。しかもプレビュー画面のボヤけっぷりはどういうことだ。おれ的には、ディスプレイが大きくなることで、入力した文字数が増えて、それだけ俯瞰して眺めることができると期待していたのだが、実に残念である。

と、まあそんなことをいつまでも嘆いても仕方ない。

だから、おれは、「なるほど、そうなんですね」と言って気にしないことにした。

人生において、気にしなくてはならないことは他に山ほどある。

例えば…特に思いつかないが、おそらくそのはずだ。

と、こうして書きながら気づいたが、確かにかなりサイズが大きくなったものの、思ったよりも自然に文字を打ち込むことができている。基本的には今まで通り片手で入力できる感じだし、指が届かないときには無意識的にもう一方の手を添えている。どんなことがあっても片手持ちでやりたいという信念の持ち主でなければ大した問題ではないと思う。バランスを取る必要があれば、その都度空いている方の手を添えればいいだけだ。この調子なら、「バンカーリング」は要らないかなという気がしている。ただ、一度落下させてiPhone 5のガラスを粉々にした経験があるだけにケースと保護フィルムは早急に用意したいとは思っている。庶民的な価格のやつを。

…と、ここまで書いて、今まで使っていたiPhone 5を手にしてみると、その小ささに驚く。

巷では、iPhone 6 plusのデカさについてあれこれ言われているが、今のおれには、iPhone 5の小ささの方が衝撃的だ。今までおれはこんな小さな画面で文字を打ったり、読んだりしていたのかと思うと、背筋が凍りつく気がするが、これは間違いなく気のせいだろう。

いずれにせよ、人はどんなものにも、すぐに慣れるということだ。

人の感覚なんてそんなものだ。