ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

イブのまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ

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イブから一夜明けた早朝の電車はいつもより空いていた。同じ車両に乗り合わせた誰も彼もが放心したような、疲労困憊したような表情を浮かべていた。元気だったのは車内ディスプレイに映る水原希子だけだった。

そう言えば、最近彼女がインスタグラムに投稿した誰かの股間の写真が批判されていたらしいが、どうでもいいことだ。

駅のホームのベンチで前夜どこで過ごしたのか、若い女が熟睡していた。足元には大きなバッグがあった。家まで送ってくれるようなまともな恋人はまだいないようだ。どこかで友人たちとクリスマスイブを過ごした果てに駅のホームのベンチで眠りこける若い女の姿が冬の朝を一層寒々しく思わせた。クリスマスイブを独りで過ごすくらいなら、それほど親しくもない似たような境遇の知り合いとどうでもいい酒を飲んでどうでもいい歌でも歌う方がまだマシだと思ったのだろうか。結局はクリスマスの早朝に駅のベンチで独りで眠ることになるとしても。

そんなことを思いながら、改札へと向かう人並みの中で、挙動不審なステップを刻む初老の男を見た。

駅は挙動不審者の宝庫だ。たとえば、毎度毎度、さも初めてこの駅に降り立ったというように電光掲示の時刻表を何度も確かめるフリをして、エスカレーターの列に割り込むサラリーマンがいる。おれは密かに彼に「キョロリーマン」と命名している。おそらく一生キョロキョロしてその生涯を終えるのだろう。

あるいは、歩くのも辛そうなくらい太った男。たぶんまだ30代なのだろうが、歩く速度は90代だ。膝にかなりの負担がかかっているのだろう。同情を禁じえない。ただ、いただけないのは、その臭いだ。なぜ君は着ている服を洗濯しないのかと訊きたいほどの臭気を放っている。太っていることを責めているのではない。遺伝的な要因もあるだろう。しかし、洗濯をしない遺伝子はないはずだ。まだ発見されていないはずだ。と、すれば洗濯をするしないは本人の選択の問題だ。君は洗濯をしないことを選択したのか。それとも他に何か理由があるのか。彼を追い越すとき、息を止めておれは声に出すことなく呟く。

話が逸れた。挙動不審な初老の男の話だった。まあどのみち「逸れた」ような話題だが。

で、そのおっさんは「キョロリーマン」の進化形といったような挙動不審ぶりだった。一歩進んで二歩下がるステップを繰り返し、その合間に首を左右に振り、辺りを窺う風だがたぶん何も見えていない。おれが警官なら即職務質問するはずだ。おれは警官ではない。“I'm not a police officer.” その時点でおっさんはラッキーだった。おっさんは幸運である。なぜならおれは警官じゃないから。

おれはおっさんの後ろを歩く形となり、そのまま自動改札を抜ける列に並んだ。そしておれは見た。前の人がSuicaをセンサーにかざしたその瞬間、おっさんはその人の背後霊の如く張り付いてそのまま改札を出ていくのを。キセルである。クリスマスの早朝に無賃乗車である。しかし、ジーザスはそんなおっさんにも慈悲深かった。おれは警官でもないし、JRの職員でもなかった。おれは自分が警官でもJR職員でもないという事実に神の恩寵を感じた。そして、その一瞬前に見た光景を思い出す。

素手でSuicaのセンサーにタッチしたおっさんの一世一代の演技を思い出す。

一日の終わり、聖夜におれは思う。

あるいは、あのおっさんは手のひらにICチップを埋め込んで、すべてキャッシュレスにしているのかもしれない。

あるいは、あのおっさんは冴えないおっさんの姿を借りた神だったのかもしれない。

あるいは、駅のベンチで酔いつぶれていた若い女も神だったのかもしれない。

悪臭を放つ巨漢の青年も、割り込みキョロリーマンも、誰も彼も神だったのかもしれない。

なぜ神じゃないと言える?