砂漠に降る雨/SION 『鏡雨』
朝、駅に向かう。寒さで悴んだ身体をほぐすように早足で歩く。
iTunesからシャッフルされた音楽が流れる。
SION…『鏡雨』
数は多いのにただ一人の足音にも聞こえる 規則正しい独白の大粒な雨が 街に降りる 君に降りる まるで誰かの深いため息のように
昨日、日曜の朝、ネットもテレビも「イスラム国」が世界中に配信したとされる無残な動画の話題で占められていた。
犠牲者を悼む声と共に、現政権への批判も高まりつつあるように思える。そうかと思えば、相変わらず「自己責任」を叫ぶ人々も少なくない。(もちろんこうした発言はネットに限られているようだが…)
数は多いのにただ一人の足音にも聞こえる 規則正しい独白の大粒な雨が 街に降りる 君に降りる まるで誰かの深いため息のように
一夜明けると、情報は更に錯綜する。
「あの動画は明らかに加工されている」
そんな声が上がる。
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
それでは彼らは、人質たちは、どこで生きているのか?まったく別の場所で別の人生を始めるのか?何のために?誰のために?
それでは彼らの冥福を祈ることは的外れなのか、そうでないのか。
虚実が入り混じり、疑念と信念が限りなく同じものに見えてくる。
風に乗って八つ当たりのごとく窓を叩くこともなく 本当の事だけ静かに静かに話す雨が 街を映す 君を映す 飾りをいっさい排除した鏡になって
ふと、砂漠に雨は降らないのだろうかと思う。砂漠に生きる人たちは何に自分を映すのだろうかと思う。砂漠に生きる人たちの「鏡」は何だろうと思う。
人はひとつだと みんな同じだと バカ言ってんじゃねえ みんな違うからのたうち回ってんだろ
テロの脅威が囁かれ、テロに屈してはならないという声が上がり、すべて陰謀だと冷ややかな視線が交錯し、クールなリアリストでありたい人々の自己言及的分析が明滅し、それぞれの信じる「現実」が奇妙なグラデーションを織り成す。
天と地をつなぐ無色透明のポールにも見える 無数だがただひとつの声にも聞こえる雨が 街に降りる 君に降りる 希望を込めた憧れの祈りのように
砂漠に生きる人たちの天と地をつなぐものは何だろうか。無数だがただひとつの声にも聞こえるものは何だろうか。
耳を塞げば塞ぐほど増幅するその声と想いの 所有者を静かに静かに教える雨が 街を映す 君を映す 飾りを一切排除した鏡になって
おれたちがそれぞれの視点からそれぞれの意見を主張するのは、ただひとつの声を遮るためなのかもしれない。
おれたちは実は何も所有していないことから逃れるために、それを告げるただひとつの声に耳を塞いでいるのかもしれない。
人はひとつだと みんな同じだと バカ言ってんじゃねえ みんな違うからのたうち回ってんだろ みんな違うから殺し合ってんだろ みんな違うから泣いてんだろ みんな違うから分かろうとするんだろ 分かろうとするんだろ
冬の朝、砂漠に降る雨を想う。
砂漠に生きる人たちの天と地をつなぐものは何だろうか。無数だがただひとつの声にも聞こえるものは何だろうか。
極東の島国に生きる人たちの天と地をつなぐものは何だろうか。無数だがただひとつの声にも聞こえるものは何だろうか。
冬の朝、「飾りを一切排除した鏡」のことを想う。