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ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

Gradation of Reality

妄想 Non-duality News
張本氏がカズに「もうお辞めなさい」発言 ネットで炎上 - SANSPO.COM(サンスポ)
オピニオン電子新聞関西発産経フォト2015.4.12 11:56 野球評論家の張本勲氏(74)が12日、TBS系「サンデーモーニング」(日曜前8・0)のスポーツコーナー「週刊ご意見番」で横浜FCの元日...

実際の放送は観ていないが、テレビで張本勲氏が三浦知良氏に「引退勧告」をしたとTwitter経由で知った。

この発言に対する大方の反応は張本氏に批判的なものが大半を占めていた印象だ。

おれも最初この話を知ったときは、「なぜ張本氏は野球選手でもない人の進退に口を挟むのだろう」と訝しかった。

次に張本氏の年齢をあらためて記事で見て、「あの年代の人ならそう考えるのかもしれないな…」と思った。

仮にそういう見立てで行くと、世代論というかジェネレーションギャップというかそういう問題が可視化されたとも取れる。

「この国はいまだにあの手の人々が幅を利かせて下の世代に苦労を強いている」

というような鬱屈を抱えている人はおそらく少なくないだろう。

老害」などという言葉も生まれるご時世だ。今回の件はそうした人々の不満が噴出しているのだと取れないこともない。

しかしその後、ふと、子供の頃、張本勲氏の伝記を読んだ記憶が蘇った。

子供の頃読んだのだから当然子供向けの本だったと思う。

確か、張本勲氏は幼少時に左右どちらかは覚えていないが、手に火傷を負い、うまく開かなくなったもののそうしたハンディを乗り越えて立派な野球選手になりました、というような内容だった。

ハンディはそれだけではなく、在日韓国人ということで差別を受け色々な悔しい目にも遭ったというようなことも書いてあったような気がする。

そんな伝記を読んだ少年のおれは、「そうか張本はすごい苦労をしたのに、へこたれず頑張って、今こうして巨人のスター選手になったんだな。すごいな」と思って、そのまま忘れて、21世紀の今現在を迎えた。

これは余談だが、こうして何十年も前の出来事もふとしたことで再生されたということは、やはり、人間の脳味噌にはすべての記憶が有料アップグレードなどすることもなく完全にセーブされているのだとあらためて実感した。実にお得だ。フリーミアムの世界だ。だからおれは昨日のこともろくに覚えていないが、そんなことは問題ではない。おれは大体のことを忘れるが、おれの記憶は完全にセーブされている。必要があればデータの方から勝手に出てくる。そして三途の川を渡る前か後か知らないが、その時にすべてのデータを一覧するのだろう。で、そのデータは何らかの形式で超圧縮され人間意識のひとつのアーカイブとしてどこかに保存されることになる。一方、魂の方はそんな過去のデータをすべて削除されて次にお呼びがかかるまで待機する。まあ何ていうか、アップルストアで販売している整備済製品みたいな感じである、という気がしないでもないが、違うかもしれない。

そういうわけで、おれは遠い昔に読んだ張本勲氏の伝記のことを今回の件で思い出した。

そして思う。

一昔前の日本人は、単なるサクセスストーリーではなく、不遇の日々を乗り越えて不屈の精神、ハングリー精神で立ち上がり、「何クソ!」と素晴らしい結果を出す、というような物語に共感を覚えたものだなと思う。おれは今でもそんな物語は好きだ。そんな物語はおれに「慈しみ」というものを教えてくれる。

張本勲氏の人生はまさにそうした物語そのものだったのだろう。そして本人もそうした「物語」を信じているのかもしれない。

1940年、広島生まれ。母親は身重のまま、3人の子を連れて当時日本領だった朝鮮から海を越えて日本に渡り、広島で勲を生んだ。4歳の冬、土手で焚き火を囲んでいた際に、急にバックしてきたトラックを避けようとしたところバランスを崩し、焚き火に右半身から飛び込む形になり、右手の親指、ひとさし指、中指以外の自由を失う大火傷を負う。1945年8月6日、5歳の夏、爆心地から約2kmの広島市段原新町(現在の南区段原)で被爆。比治山の影となっていた段原は直接の熱線が届かなかったが、爆風に見舞われ家は倒壊した。この際、勤労動員で比治山の西側にいた長姉は、大火傷を負い数日後に亡くなった。

終戦後、父親が朝鮮半島に戻り、生活基盤を整えてから一家も呼び寄せることになっていたが、父親が帰国後急死し、またヤミ船が下関沖で転覆した事件を受けて、母親が子供3人の身を案じて帰国を諦めることになった。 Wikipediaより引用

悲運である。しかしある日、天啓とも思える出来事が張本少年の身に起こる。

覗き見た読売ジャイアンツの宿舎の食事風景が、その後の張本の人生を大きく変えることとなった。戦後の物資不足や飢餓をまだ引きずる時代に、選手たちは分厚い肉を食べ、桐箱に入った贈答品として当時は珍重されることも多かった生卵を3つも4つも茶碗に放り込んでいたのである。以来、張本のプロ野球選手への憧れは増大し、「母親に広い家をプレゼントする」、「美味しい食べ物を腹一杯食べる」という二つの夢を胸に来る日も来る日も吊るした古タイヤに向かってバットを振り続け野球へと打ち込んでいった。 同引用

その後、常人を遥かに超えた精進の結果、張本勲氏は念願通りプロ野球選手となり多くの人から喝采を浴びることとなった。

そして数々の功績を築き、1981年に引退した。

これは事実である。妄想ではない。おれの妄想が始まるのはこれからだ。

なぜ張本勲はカズに「お辞めなさい」と言ったのか。

それは張本勲の生きた「物語」からすれば、カズのような登場人物はまったくの異物だからだ。

功成り名を遂げた人間は去来する思いを飲み込み潔く去るべきである。立ち去るその姿こそ美しい。

そんな主題と相容れない登場人物は「張本勲物語」に相応しくない。少なくとも主役級ではない。あるいは主役を際立たせる役回りでしかない。

おれの妄想の中の張本勲は何の美学も持たずいつまでも過去にしがみつく人間を嫌悪する。

もう一人のおれは自分の妄想を見て思う。

なぜ張本勲はカズの在り方を嫌悪するのか。

手段と目的というキャプションが妄想の映像に映し出される。

そうか、と思う。

張本勲にとって野球は「母親に広い家をプレゼントする」、「美味しい食べ物を腹一杯食べる」という二つの夢のための「手段」だった。

だからこそいつまでも「手段」にしがみつくなと言ったのではないだろうか。

しかし、カズにとってサッカーは手段ではなく、「目的」そのものだった。そして今もその「目的」の中で踊り続けている。もちろんこの場合、カズダンスだろう。

どちらが幸福だろうか。

妄想の気球はさらに上昇し、違った風景を映し出す。

彼岸から始めることです。

事あるごとに思い出すクリシュナムルティのこの言葉が浮かび上がる。

此岸という「穢土」から歩き出した張本勲と彼岸から始めたカズの見ているものはおそらく同じものも違って見える。

これは張本、カズだけの話ではない。われわれは同じものを見ているのにまったくの別物だと信じて世界を眺めている。

ひとつの世界が無数に分割されるという現象は各人が信じる物語の主題によってもたらされる。

各人が信じるリアリティによって世界は精緻なグラデーションを織り成す。

色彩に正しいとか間違いはない。あるのは濃淡だけだ。

ただ、もしそのグラデーションに流れがあるとするのなら、色調は次第に薄くなっていくだろうという気はしている。

「濃い」物語はメインストリームから外れていくだろう。

「彼岸」から始める人々が増えていくだろう。

揭帝揭帝 般羅揭帝 

👉カズが「引退勧告」にコメントを返したようだ。

▼ちなみにカズにはカズの美学がある。

カズ本人によれば映画『ゴッドファーザー』好きで、自身の時に奇抜なファッションはこの作品に影響を受けたことが原因だと証言している。日本サッカー界屈指の「伊達男」だと自認する。特にスーツを愛好する服好きであり、都内に洋服保存用マンションを購入したほどであり、趣味はマフィア研究である。 Wikipediaより引用

▼参照URL

張本勲 - Wikipedia

三浦知良 - Wikipedia