運河にて
運河から吹く涼しい風に乗って異臭が届く。臭いの元は少し離れたベンチで眠りこけている路上生活者の老人だ。今、彼はどんな夢を見ているのだろうと思う。人は死ねば同じようなものだが、眠っている時も似たようなものかもしれない。だとすれば、眠りとはある種の救いなのだろう。
係留している何艘かの屋形船の一艘がゆっくりと動き出す。屋形船が水面に描く軌跡が夕日を浴びてオレンジ色に輝く。
ゆらゆらと揺れる光の帯を眺めていると浮かんでは消える思考が自分のものではないような気がしてくる。
ゆらゆらと揺れる思念の波をぼんやりと追いかける。
スピリチュアルの文脈では「覚醒」こそ一大事であり、最重要案件のようだが、この二元世界においては「眠り」が救済となる。
眠りは濁ったあぶく淀む浮世からの一時的亡命だ。
眠りは「現実」という虚構からの離脱だ。
夢の中で人はリアリテイに触れる。
眠りは意識に垢のようにこびりついた概念を剥落させる。
あらゆる概念は意識が纏う衣裳に過ぎない。
おれは再びベンチで眠りこけている老人に目をやる。真っ黒な足の裏を見る。
そのすぐ脇を流行りなのか、ニット帽を被った若い女が小洒落た自転車で軽快に通り過ぎて行く。
彼女は今晩どんな夢を見るのだろう。
運河を囲う鉄柵の向こうに植わっている枇杷の木によじ登り小ぶりな実を捥いでいる男を見る。
男は今晩どんな夢を見るのだろう。
おれは路上生活者の老人が夢の中でとてつもない啓示を受けて不意に起き上がる場面を夢想している。
日が翳り、光の帯がだんだんほどけていく。
おれはベンチから立ち上がる。
今晩、誰がどんな夢を見るのだろう。
そして本当に夢を見ているのは誰だろう。