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ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

尊く生きるということ/親鸞フォーラムに行ってきた

Event 仏教

ちょっと応募してみた親鸞フォーラムの聴講券が当たったので、東京まで行ってきた。これも阿弥陀様のお導きである。

で、親鸞フォーラムだが、これはその名の通り親鸞上人を宗祖と仰ぐ真宗大谷派東本願寺)が毎年主催するシンポジウムである。おれはついこの前までこうしたシンポジウムが開催されているということを知らなかった。しかも今回で第10回目だという。

1時間以上も早く着いたおれは会場である日本郵便のJPタワーホテル&カンファレンスの外周をぐるりと回った。そうすることに特に意味はないことに気づいたおれはビルの中に入ることにした。

KITTEというショッピングモールが併設されているので、そこをブラブラすることにした。KITTEというのは日本郵便だけに「切手」と「来て!」をかけているようだ。

KITTE | キッテ オフィシャルホームページ

オシャレな三角形の吹き抜けを囲むようにオシャレなテナントが並んでいる。

おれはとりあえずエレベーターに乗り込むと、5Fの喫煙所を目指すことにした。偶然、今回のパネリストの一人である森達也氏も一緒だった。もちろん何の面識もないおれは森氏に声をかけるようなことはしなかった。ただ、「この人があの『A』を撮った人か…」と思っただけだった。

KITTEには喫煙所は5Fにしかない。スモーカーとしては不便だが、これも時代の流れなので仕方ない。

そんなこんなで、時間が来たのでおれは会場となるカンファレンスルームだったか、そんなところに行った。

受付で聴講券と料金1,000円を払う。無料ではないが、会場賃料とパネリスト、スタッフたちのギャラ等を考えると妥当なところだろう。

適当に空いていた席に座ると、ほどなくシンポジウムは始まった。

最初にコーディネーターの藤原正寿氏の話があった。その中で去る21日に東本願寺は国会に提出された『安全保障関連法案』に反対する宗派声明を発表したことを知った。

安全保障関連法案に対する宗派声明発表 | 東本願寺

そして、3人のパネリストが登壇する。

まず、ワイドナショーでお馴染みの社会学者の古市憲寿氏。お馴染みといってもおれが古市氏を知ったのは2日前なので、昨日、予習のつもりでYouTubeでワイドナショーを観た。なかなか興味深いキャラクターである。

次に、映画監督の森達也氏。『A』、『A2』は面白かった。

そして、真宗大谷学園専務理事の真城義麿氏。

シンポジウムは各々が20分ずつ順番に語り、休憩を挟んでディスカッションという形式で進められたが、内容は近いうちにYouTubeにアップされるはずだからここで詳しくレポートすることはしない。

その代わりに個人的な感想をざっくりと書いてみたい。

古市氏の話はワイドナショーで見せるのと同じ飄々とした様子で飄々と持論を語っていた。別に親鸞フォーラムじゃなくてもいいのかもしれない。呼ばれたから来ましたという風である。これは別に悪いことではない。話も真っ当で、面白かった。真っ当なことが面白いと感じるとは、まさに末法である。

森氏はメディア依存の現在の危うさを指摘し、現在の日本が「言葉」「意識」「メディア」が三位一体となって先の大戦を忘却しようとする動きに警鐘を鳴らすのだった。

周りの人たちは持参したノートやタブレット端末に熱心にメモを取っていた。

おれは心の中で「あとでYouTube観たらいいんじゃないですか」と呟く。隣のおじさんが船を漕いでいる。

尊く生きる

正直なところ、古市、森両氏の話は視野狭窄に陥っているかのような現在の情況に別の視点を提供してくれるものだったが、親鸞の名を冠したフォーラムでなくてもよかった。

それは汎用的であり有用な言論だったが、おれは若干のもどかしさのようなものを感じていた。

おれは親鸞上人の思想が今現在の日本においてどのような影響を与えうるのかを聴いてみたかった。

汎用的かつ有益な言論の向こう側からの言葉を聴いてみたかった。

森氏は、オーウェルの「1984年」やカンボジアポルポト政権の自国民の虐殺などの例を出して、われわれ聴衆に今現在われわれが生きている情況の異様さを話す。

こうした問題を指摘することは確かに重要だが、それを聴いた人々は一瞬、知的興奮を覚え、「確かに!」とか「禿同!」と言って会場を後にすることになる。

そしてKITTEのレストランコーナーで回転鮨やイタリアンの店の行列に並ぶのだ。

そんな風なことを考えているうちに、3人目のパネリストである真城氏の話が始まる。

普段、東本願寺や浄土真宗のことを考えることのないおれは失礼ながら真城氏の話に特に期待のようなものは持っていなかった。

しかし、真城氏の「尊く生きていますか」という問いかけを聴いた時、眠りかけていたおれの何かが反応した。

簡単に言うとこれは、人は「勝ち負け」「出来不出来」「金の多寡」といった二元的価値だけで生きるのではないということだ。

それを真城氏は押し付けることもなく、問いかけることによって提示するのだった。

親鸞上人もそうだったのかもしれないと思う。

あなたは尊く生きていますか。あなたの行動は尊いと思いますか。あなたの主張は尊いと思いますか。

強烈な問いかけである。その問いかけはあらゆる理論武装や言い訳めいた既成事実の隙間をかいくぐりわれわれの柔らかい部分に突き刺さる。

おれは昨日読んだばかりの苫米地英人氏の本の一節を思い出す。

親鸞を宗祖とする浄土真宗は、キリスト教のような世界宗教に発展する可能性を持つ数少ない宗教宗派のひとつです。/『まずは、「信じる」ことをやめなさい』より

また、かつて読んだ鈴木大拙の本に「禅を叱れるのは真宗だけだ」みたいなことが書かれてあったことも思い出す。

日本的霊性 (岩波文庫)

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真城氏の問いかけを聴いてから後のことはあまり覚えていないが、それで充分だと思いながらおれは会場を後にする。

日の丸が掲げられた東京駅の前で中国人の観光客が嬉しそうに記念写真を撮っていた。

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