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ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

情動と実在/フラッシュモブ考

初めてフラッシュモブという言葉を耳にしたのは何年前のことだろう。

その時、おれは「モブが流行している⁈これは只事じゃない。しかもフラッシュというからには閃光の如く現れるようだ。閃光の如く現れては略奪や暴虐の限りを尽くしてはたちまち何処へと消えてしまうアノミーな集団のようだ。まったく物騒な世の中になったものだ。おちおち犬の散歩もできやしない。南無阿弥陀」と仏壇に線香を上げたことを覚えている。

というのはフィクションで、これはおれの妄想の中の架空の老人がちょっと小耳に挟んだ横文字をそのまま訳して、その老人に垢の如くこびりついた先入観による予定調和的妄想の話である。

こうした妄想内存在はおれの中にまだ無数に存在するが、もちろんあなたの中にもこうした妄想内キャラクターは同じように存在している。あなたは「無数のあなた」が重なり合うようにして構成されている。

いずれにせよ、おれ自身としてはフラッシュモブがどんなものなのかくらいは当然知っているし、犬は飼っていないし、仏壇もわが家にはないが、実はこれこそ妄想で本当は先の老人の方が実在しているのかもしれないが、これはタモリの口調で否定したい。「んなこたぁない」

フラッシュモブ(英: flash mob)とは、インターネット上や口コミで呼びかけた不特定多数の人々が申し合わせて雑踏の中の歩行者として通りすがりを装って公共の場に集まり前触れなく突如としてパフォーマンス(ダンスや演奏など)を行って周囲の関心を引きその目的を達成するとすぐに解散する行為/Wikipediaより

👉 フラッシュモブ

本来、フラッシュモブとは引用したようなパフォーマンスだったはずだが、いつの間にかひとつのビジネスとなっていたことをおれはついこの前、この動画を観るまで知らなかった。

まあ人によっては、「けっ!」と思うような内容であるのかもしれないが、おれは「こういうのっていいじゃん」とうっかり思ってしまうのだった。

そこから先はもう怒涛の如くYouTubeにアップされているフラッシュモブ・プロポーズ動画を見まくった。

そして世の中にはフラッシュモブによるサプライズを企画演出する会社があるのだということを知ると同時にこれからのビジネスに求められるひとつのかたちを垣間見る思いがした。

つまり、情動を提供するということだ。

もちろんこうしたビジネスモデルは今に始まったことではない。映画産業は言うまでもなく、スキューバ等のインストラクターや旅行代理店などもこのカテゴリーに入れることができるだろう。パチンコ屋、ゲーセン等の娯楽産業も含まれる。

苫米地英人氏は著書『まずは、「信じる」ことをやめなさい』の中で「情動はすでに娯楽である」と指摘したが、娯楽とはそもそも情動に訴求するものだし、そうした認識がわれわれの意識に浮上してきたことによって、「情動・経験産業」はその領域を更にもう一歩踏み出すこととなった。

それは「顧客自らが演出される」ということだ。これは「情動のパックツアー」と言い換えてもいい。

これまで「サプライズ」は劇場あるいは遊園地でしか売っていなかった。

プライズとは非日常である。そして売られている非日常はあくまでも擬似的体験にとどまっていた。

それが、今や「現実の体験」として売られるようになった。うがった見方をすれば、生身のわれわれが演出された世界、つまり虚構の中にホログラムのように存在することができるようになったということだ。金を払えば。

遠からず、金さえ払えば人はどんな体験も得ることができるようになるだろう。そして、そのずっと先には『トータル・リコール』のような世界が待っているのだろう。

しかし、それは所詮本物ではないとあなたは言うかもしれない。売り物の体験によって得られる情動など情動とは言えないと言うかもしれない。

果たしてそうだろうか。本物でない情動などあるだろうか。売り物の情動とそうでない情動では何が違うのだろうか。

おそらく何も違わない。

なぜなら情動は娯楽だから。

なにもこれは、これからの娯楽はすべて演出されたものとなるとか、娯楽を得るためには頭に電極を突き刺さないといけなくなるとか言いたいわけではない。そう考えたい人も少なからずいるだろうが、それはその人の傾向だ。妄想的分析屋さん(39才・独身)

だからここでおれはそんな傾向を持つ分析屋さんに妄想のカプセルに戻ってもらうことにして、もっと単純なおれと交代することにする。

単純なおれが言いたいのはこうだ。

重要なのは認識である。情動は娯楽だという認識だ。

そしてあなたはどんな娯楽を求めているのかということだ。

あなたにとっての娯楽とは何かということだ。

先の動画を見てあなたはどんな情動を感じたのかということだ。

人が感激して泣いて喜ぶ姿を見たあなたはどんな情動を感じたのだろう。

単純なおれは単純に「こういうのっていいな」と思い、人を不安にさせて喜ぶ「ドッキリ」みたいなものより数段上等じゃないかと思うのだった。

人が喜ぶ姿を見ることほど楽しいことはそうそうない。単純なおれは単純にあの動画の二人に幸あれと願う。

妄想のカプセルの奥から舌打ちが聞こえる。

「チッ、甘いな」

更に別の声がする。

「物騒な世の中になったもんだ…」

そんな呟きを聞いて目を覚ました「その他のおれ」が次々に勝手なことを言い始める。おれの脳内妄想ドームがバズる。

「あんなものは所詮ヤラセじゃないか。お人好しもいいかげんにしとけ。それより金の流れを追うんだ。そうすりゃすべてわかるさ」とネットで覚えたことをさも持論であるかのように語るしか能のない引きこもりのおれ(24才・無職)が口を出す。

「すてきね。私もいつかあんな風にプロポーズされてみたいな」と乙女のおれ(30才・公務員)が夢を見る。

「男として生まれたからにはこういうのってカッコいいっていうか、やらなきゃなっていうか、そんな感じっす」と爽やかなおれが顔を出す。

「人生とはダンスであり、魂は不滅だ」と長期休暇を取ってインド放浪中のおれ(35才・営業)が目を閉じたまま呟く。

単純なおれはブルーノ・マーズの「Marry you」とワン・ダイレクションの「What makes you beautiful」を交互にかけて聞えないふりをする。

情動は娯楽だ。

そしてそれは選択できる。

あなたは今この時も情動を選択し続けている。