ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

Don't let the world pass you by / 堀江貴文『ゼロ』を読む

堀江貴文の『ゼロ』を読んだ。あのホリエモンの自伝というか半生記というか、まあそういう本だ。図書館で予約して数ヶ月待ちの末にやっと順番が回ってきた。なぜこの本を予約したのか今ではまるで思い出せない。誰かのブログを読んで興味を持ったのか、それともYouTubeホリエモンの出ている動画を見て興味を持ったのかのどちらかだと思う。

動画を通して見るホリエモンの発言の数々は確かにある種の人々の気持ちを逆撫でするのだろうとは常々思っていた。個人的には「なるほど」と思うことも少なくなかった。それは例えば何かと言われれば、特には思い出せないので、「なるほど」と思ったのは幻想なのだろうかという気もしないでもないが、『ゼロ』を読んだことは事実なので堀江氏の発言のいくつかに何か感じるものがあったのだろう。それでよしとしたい。いずれにせよ、おれは堀江貴文の『ゼロ』を読んだ。

そこには人一倍、いや百倍の「努力家」の姿があった。そうした「努力」の裏打ちがあってこそ、数々の「人を突き放したような」発言なのだということがよくわかったし、その辺のポジティブ・シンキングなどほとんどが単なる世迷言なのだとあらためて思わされもした。

「無実」を主張しながらも有罪を宣告されて、「ヒルズ族」から、刑務所暮らしに「転落」してもなお、彼はこう語る。

人生にマイナスなんて存在しないのだ。失敗しても、たとえすべてを失っても、再びゼロというスタートラインに戻るだけ。

こうして文章にしてみれば、特に目新しいものではない。要するに、「人間本来無一物」ということだ。ただ、堀江氏は単なる知識として言っているのではない。本当にそう思っているのだ。いや、「思う」というのでもない。単に理解しているのだ。そこに疑念の余地は、おそらくない。あなたがテーブルを見て、「これはテーブルだ」と言うのと同じくらい堀江氏にとっては明らかなことなのだと思う。

しかし、多くの人々はそれがテーブルか否かについて議論したり、悩んだりしている。あるいは、疑心暗鬼のままテーブルがあるのにそれを利用することなく、立ち食いなどして茶碗の置き場所を探している。挙げ句の果てには「ホリエモンはいいよな。ゆったりとテーブルで飯が食えて。それにひきかえおれなんか…」などと恨み言を連ねたりする。

おそらく堀江氏からすれば、何を言っているんだろうこの人たちはという感じなのに違いない。

「これはテーブルだよ。なんでテーブルでご飯食べないの?食べればいいじゃん。お金が欲しいの?稼げばいいじゃん」

『ゼロ』以前の堀江氏ならここで止まっていたが、『ゼロ』以後の堀江氏は違う。稼ぐとは何か、仕事とは何か、生きるとはどういうことかを自分の半生を語ることによってわれわれに惜しみなく呈示してくれる。

僕は自分の境遇をマイナスだとは思っていない。なにかの機会が奪われたとか、人生をフイにしてしまったとは、思っていない。なぜなら、チャンスだけは誰にでも平等に流れてくるものだからだ。

不意におれの頭の中でストーンズのアルバム「Tattoo you」の1曲が流れ始める。

Don't let the world pass you by

You better take your chance now baby

Or be sorry for the rest of your sweet loving life, baby

Oh, sugar

Hey sugar, I'll take you to the top

I'll take you to the top

I'll take you to the top, sugar

(M. Jagger/K. Richards)

ミック・ジャガーは歌う。

世界を素通りなんかさせちゃダメだ。 チャンスを掴むんだ。 それとも残りの人生を嘆いて過ごすつもりなのかい?

ホリエモンは語る。

●目の前に流れてきたチャンスに躊躇なく飛びつくことができるか。

●ネガティヴに「できない理由」を考えて好転する物事など、ひとつもない。

●大切なのは自分の手で選ぶ、という行為。

本書には他にも胸に刻むべき言葉がまだ数多くある。

「そんなこと前にも誰かが書いてたよ。知ってるよ」と言うあなたはもしかすると何も知らないのかもしれない。

まだテーブルで食事をしたことがないのかもしれない。

テーブルで食事をしているつもりだけなのかもしれない。

Don't let the world pass you by!

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