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ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

三軒茶屋のノマド

カミさんの荷物持ちで三軒茶屋まで行ってきた。

とりあえず駅近くの全国チェーンのコーヒー屋で休憩した後、用事のあるカミさんとは別行動を取る。

別行動と言っても自分の用事で三軒茶屋に来たわけではないので、辺りをぶらつくくらいしかやることもない。

ぶらつきながら数分前に見た光景を思い出す。青年とも中年ともつかない男性がノートパソコンを開いて何やら「作業」をしていた。ノマドだか何だか知らないが、最近ではまあよく見る光景だ。

ノマドだか何だか知らないが、なぜ彼はあんな狭い席でチマチマとキーボードを叩いているのか今ひとつ判然としない。

ノマドらしく涼しげな草原とか冷房の効いた静かな部屋で仕事をすればいいのになぜわざわざチェーン店のコーヒー屋でカタカタやるのかその意味がよくわからない。

そうか彼はノマドでも、下層ノマドという種族なのかもしれない。

そんなことを妄想すると同時に、タイトルはもとより内容もほとんど忘れたが、確かトーマス・フリードマンがそんなことを書いていたような記憶が微かな音を立てる。

これからは何もかもが流動化して、人もまた好むと好まざるに関わらず移動する時代となるが、特別なスキルを持たない多くの人々は「下層ノマド」に分類されるのだというようなことが書かれていたような気がするが、それはおれの誤読だったかもしれないし、全然違う本で読んだのかもしれない。

いずれにせよ、三軒茶屋でおれが見た「ノマド」からは組織や時間や場所に縛られないといった一般的に流布しているような「ノマド」のイメージは感じられなかった。

もちろんこれはおれの勝手な妄想に過ぎず、彼はクーラーの効かない部屋に耐えかねて、仕方なくコーヒー屋で仕事をするしかなかったのかもしれないし、あるいはただ単にヒマを持て余してコーヒー屋でネットサーフィンをしていただけなのかもしれない。

話は唐突に変わるが、ネットサーフィンと言えば、最近知人と世間話をしていて、その知人が中国や韓国の兵器のダメさ加減をあげつらったサイトを見たと愉快そうに話していた。

おれは適当に相槌を打ちながら、なぜこの人は他国の兵器がいかにお粗末だというような話をそんなに嬉しそうにするのか不思議な気がしたが、そういう人はどこにでもいるものだ。

他国や他人がいかにダメなのかを嬉しそうに語る人々はおれ的には「お人好し」に分類される。そしてそんな「お人好し」の人たちは自分が陰口を叩かれていることに気づかないか、気づかないフリをしている。

そんな「お人好し」の人たちのことを思うとおれはほんの少し可哀想な気持ちになる。

弱者に強く、強者に弱い「お人好し」の人たちの末路を思うと切なくなる。

気がつくと、おれは三軒茶屋ブックオフで2時間半立ち読みをして、1冊も買わず店を出て、適当に見つけたドラッグストアで60枚500円の使い捨てマスクを買っていた。

ドラッグストアの前でフィリピン人ぽい母娘が何か話していて、5歳くらいのその女の子は日本語で「のどが渇いたぁー!」と飛び跳ねながら叫ぶのを聞いた。