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ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

夢の外へ

休みだというのに腰が痛くていつも通り目が覚めた。変な姿勢で寝ていたようだ。まだ寝ようと思えば眠れそうだが、とりあえずコーヒーを淹れる。ここのところずっと探している電動ドライバーはまだ見つからない。去年、断捨離をしたときに部屋の片隅から見つけて、今度はちゃんと保管しようと思ったところまでは覚えているが、そこから先の記憶がまったくない。井上陽水の「夢の中へ」が頭の中で流れる。はい、見つけにくいモノです、とおれは答える。机の中も鞄の中も探したけれど見つかりません。これから歳を重ねるにつれこうしたことは増えていくのかもしれない。そういった意味では記録するということはやはり大事だ。そういうわけで、探しものに飽きたおれは陽水に導かれるように家を出た。そして本屋で普段買わないような雑誌を買った。その雑誌には万年筆のおまけがついていたからだ。しかもその雑誌の今月の特集は手帳に関するものだったので、記録の重要性を痛感しているおれにおあつらえ向きな気がした。というのは嘘で本当は単におまけに釣られただけだ。帰宅して早速、本ではなくおまけを開封する。インクカートリッジを装着して試し書きしてみる。まあ普通に使えそうだ。悪くない。しかしその後、だからどうしたと思う。モノというのは手に入れるまでは楽しいが、実際手にしてみると、だからどうしたということが多々ある。思考が現実化する?だからどうした?それがお前が本当に欲しかったモノなのか。それがお前が本当に現実化したかったことなのか。というようなことを自問自答しつつおれは万年筆のキャップを締め手帳特集のページを開く。有名企業の社長たちの手帳に関するインタビューを流し読みする。特に目新しいものはない。これを読んで一体どのくらいの人が真面目に彼らの「手帳術」を実行するのだろうと思う。しかもよくわからない統計まである。年収500万円以上の人々の多くはレフト式の手帳を使っているのだという。左ページが1週間の日付が入っていて、右ページにメモ欄の、よくあるというか一番オーソドックスなタイプのやつだ。こうした情報を真に受けるピュアな人々がまだまだ多いのだろうか。よし、来年はレフト式だ!おれは遠い昔見た記憶がある高度経済成長を象徴する吉野家のCMを思い出す。やったぜパパ!明日はホームランだ!ホームラン?お前野球なんかやってないだろうとおれは架空の息子に呟く。ホームランなんか打てるわけないだろう。そこでおれははたと気づく。この雑誌は、この国で出版されているいやほとんどすべての定期刊行物はいまだにホームランの夢を謳っているのだと。これであなたもホームランが打てる可能性があると。しかしそこは野球場ではなく、サッカーのグラウンドだったり、バスケットコートだったりする。そういうことをいまだにやっているのが出版業界なのではないかと。当然売れ行きは下がっていく。だからおまけをつける。しかし中身はホームランの打ち方ばかり。売れ行きは下がる。おまけをつける。次第におまけがメインになる。記事がおまけになる。ネットやSNSで拾ってきたような埋め草が溢れかえる。それでも発刊されていることが不思議だが、やはり一定の購買者がいるのだろう。おれのようにおまけに釣られる人々がまだまだ多いということだろうか。それとも自分では野球をやっているつもりの人々がまだまだいるということだろうか。その程度の情報でホームランが打てると信じているのだろうか。おれはそうした意識の貧しさに呆然となる。牛丼食ってホームラン?レフト式の手帳で年収500万?

この国のマジョリティはいまだに貧しさを前提にしている。