YOKOHAMA 煩悩 TPP
横浜では、年が明けると同時に港から一斉に汽笛が響き渡る。除夜の鐘の声も悪くないが、長年横浜に住んでいると、やはりこの汽笛の音に包まれて初めて新しい年が来たのだと実感するようになる。
横浜において、汽笛は、あのアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」のセンチメンタリズムとはまったくの別物である。
悩みつづけた日々が
まるで嘘のように
忘れられる時が
来るまで心を閉じたまま
暮らしてゆこう
遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことがなかったこの街で
「遠くで汽笛を聞きながら」
横浜において、「悩みつづけた日々は、まるで嘘のように」ではなく、「嘘」である。それはフィクションなのだと横浜港に停泊するあらゆる船舶の汽笛は宣言する。悩みつづけた一年は、除夜の鐘によって押し出された百八の煩悩の雲は、新年の汽笛に切り裂かれ、夜空に瞬く星となる。したがって、心を閉じて暮らしてゆく必要はない。むしろ汽笛によってこじ開けられる。汽笛は閉じた心の開国を迫る。挫折や失意といった関税障壁を撤廃せよと言う。自由であれと言う。何度でもやり直せと言う。いいことも悪いことも己次第だと説く。
この街でいいことがなかったのなら、どの街でもそうだろう。ここに来て、近くに来て汽笛を聞いてみるんだ。いいことだけ追いかけるなど調子のいいことを思うな。自分だけいい目を見ようとするのと、自分だけが被害者だと思うのは同じことだ。感傷に浸るのは5分以内にしておけ。自分を空っぽにして汽笛の音に全身を共振させてみるんだ。そうすればすぐに分かるはずだ。いいことも悪いことも大したことではないことがすぐに分かるはずだ。
横浜港の新年の汽笛は、そんなことをおれに言う。