『フレンチアルプスで起きたこと』を観た
友人から勧められて久しぶりに近所のゲオでDVDをレンタルした。
『フレンチアルプスで起きたこと』という映画。新作DVDということで、1泊2日で410円(税込)だった。
新作などレンタルするのは一体何年ぶりだろう。去年までのおれなら、旧作になるのを待っていたはずだが、今年からのおれは違う。神のお告げにより、気前よく行くことにしたからだ。
で、おれは気前よく410円払って『フレンチアルプスで〜』を借りてその日の夜に観るつもりだったが、SMAPの例の生放送があるというので、とりあえずそっちを観ることにした。
まあ残念な内容だったが、彼らがおれの知らないところで「国民的アイドルグループ」になっているらしいからには、彼らは今の「国民」のステータス・クオの有り様の象徴なのだろうという感想を抱かざるを得ない。
そういうわけで、一夜明けた今日、おれは一人コタツで旧型Macbookで『フレンチアルプスで〜』を観たのだった。
あらすじはザックリ言うと、小金を持った中産階級のスウェーデンの家族4人がフレンチアルプスに5日間のスキー旅行に出かけて、そこで(人工)雪崩に遭うのだが、旦那はあろうことか、女房、娘、息子をさて置いて我先に逃げたことから始まる、というような物語だ。
最初、予告編を観たときにおれは、レイモンド・カーバーの『足もとに流れる深い川』のようなものだろうなと予想していたが、果たして、その通りだった。おれ的には。
女は一旦、男に不信感を抱いたらなかなか受け入れることはできないのかもしれない。
そんなわけで、この映画の奥さんも、自分たちを守ろうともせずに一目散に逃げた旦那を許すことはできなかった。
この辺りが、本作を観た人たちの間で話のネタになっただろうということは容易に想像できる。
「あなたならどうする?」
「おれはどうする?」
しかしながら、おれにはそうした自問は一欠片も浮かんでこなかった。
なぜなら、おれはおれのすべきことを知っているからだ。
おれは慌てながらも、不恰好でも、家族を守ろうとするだろう。
なぜなら、それ以外に父親の存在意義などないからだ。
と言いつつも、息子が1歳の頃、浴槽に頭から突っ込み、それをすぐに助けず、1秒ほどただただ見つめるだけだったおれが言うことにあまり説得力はないかもしれない。お湯の中の息子と目が合った光景は今でも鮮明に覚えている。
更に、遠い昔、岩手県の遠野をカミさんと訪れた際、五百羅漢だったか、山道で転倒したカミさんに、「大丈夫か⁈カメラは‼︎」と言ったことを思い出すと、だんだん自信がなくなってくるが、今年からのおれは違う。なぜなら神のお告げにより……以下略。
映画の話に戻すと、そういうわけで、夫婦の間に生じた亀裂が徐々に広がっていくのだが、個人的には順当な流れだなとしか思えなかった。
いずれにせよ、不信の眼差しで見る女と自己認識の欠如した男の行き先は、たかが知れている。そして寂しい。
ところで、この映画に限らず、大抵の映画はどのように観てもいいことになっている。そこは現実とまったく同じだ。
だからおれも好きに観る。勝手に飛躍する。そして思う。
この『フレンチアルプスで起きたこと』の監督は、虚飾にがんじがらめにされた現代人の意識の不自由さを指摘し、そうした虚偽的ステータス・クオに代わるものは、ある意味、原始的共生社会かもねと言っているのだと思う。
「でも、今の意識のままじゃ大して期待できないけどね、男も女も」と小さく付け加える声も微かに聞こえた気がする。
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