ミソカモウデに行ってきた。
確かに年々、時の流れが加速していると思う。
今日で1月も終わる。世間ではタレントの不倫問題や、徹底的に管理された国民的アイドルグループの不自由な一面が露わになり、夜行バスの痛ましい事故で十数人の命が失われ、幼い子供らが非道な虐待を受けて殺されるというような、夢も希望もない、最低最悪な事件が相次いで報じられた1ヶ月だった。
こうした事件がたった1ヶ月の間に起こったのだと思うと、一体この先の11ヶ月に何が起こるのか思いやられる。
だが、いくら「思いやられる」と溜息をついても時は流れる。確実に過ぎていく。しかも確実に加速している。
油断していると、たちまち飲み込まれていくような急流だ。
そんな急流を沈むことなく何とか1ヶ月過ごすことができた。
そして今日、北方皇大神宮に「ミソカモウデ」に行ってきた。
一礼して鳥居をくぐる。
賽銭を入れて再び一礼して、手をあわせる。瞑目し、今月に起こったことを想起し、ひとつずつ感謝する。
「今月は、子供らを初めて焼肉に連れて行くことができました」
「今月は、ステーキガストに行くことができました」
「今月は、リュックサックを新調することができました」
「今月は、ワークブーツをソール交換に出すことができました」
「今月は、風邪も引かず過ごすことができました」
徐々に頭がボーッとしてくるのが分かる。気のせいか、身体が軽く感じられる。
最後に、今ここに生きて、こうして手を合わせていることに感謝する。
そして、目を開き思う。
感謝することで、自我の毒は中和される。ボーッとするのは自我が薄れていくからだ。
浮かぶ瀬もない2016年、感謝することで少しでも自分を軽くする。
Today's tune