湯シャン荒野
2月末にふと思い立ち、湯シャンなるものを始めてみた。湯シャンとは、シャンプーを使わず、洗髪するという行為である。つまり脱シャンプーである。海外では、「ノープー」などと称されるらしいが、何となく間抜けな響きに思えるので、ここはやはり湯シャンと呼びたい。
そんな湯シャンを始めるにあたって、おれはネットであらゆる文献を精査し、体験談を読み漁り、脂漏性皮膚炎への恐怖に慄きつつ、シャンプー用ブラシを購入し、満を持して、ランドマークタワーから飛び降りる覚悟をもって、3月1日から湯シャンという未体験ゾーンに臨んだ。
そして、1カ月が過ぎた。
その結果、
特に何も変わったことはなかった。
多少、洗髪時の抜け毛が減ったような気もするが、よくわからない。頭皮の痒みも特にないし、臭いもないようだ。
今ではどうということもないが、湯シャンの際に髪がキシキシするのがちょっと気になるかなという程度だ。その髪のきしみも乾けばなくなる。
ただ、風呂上がりにシャンプーの香りがしないのだけが、物足りないくらいだ。
だからとりあえず、ヘアトニックを使ってみることにした。結果として、シャンプーより高くつくことになったが、いい香りなのでよしとしたい。
あっけないと言えば、あっけないレポートとなったが、これがあるがままというものだ。
湯シャンがいいとか、悪いとか論ずる気持ちも起こらないくらいの試みであった。もちろん、シャンプーによる経皮毒の吸収が、人体に悪影響を及ぼすという説を信じれば、湯シャンにすべきなのだろうが、そこまで考えてシャンプーを止めたわけではないおれだが、ひとつだけ思うことがある。
それは、「使っても使わなくてもほとんど変わりないシャンプーをおれはなぜ数十年も使っていたのか?」という疑問である。
「なぜおれは今まで何の疑問も持たず、シャンプーを使い続けていたのか?」という自問である。
こうした疑問はシャンプーだけに留まらず、その他のあらゆる習慣、文化にも当てはめることができると思いつくまでにそう時間はかからない。
そして、そこからさらに飛躍すれば、半ば無意識に続けている習慣や、ただ教えられたままに「文化」だと思い込んでいる諸々の事象のほとんどは、実は「あってもなくてもどちらでもいいことなのかもしれない」という場所に着地することになる。
人によっては、そんな着地点からどちらに進めばいいのか途方にくれることもあるかもしれないが、心配することはない。
なぜなら、あなたがどちらに進もうと、進むまいと、どちらでもいいことだからだ。ただひとつの正解などない。
進みたい方に進めばいい。それが正解となる。
選択とは、そういうことだ。
この春、おれはシャンプーを止めた。
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