ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

For default avoidance /『 “考える人”の育て方』レビュー

レビュープラスさんより献本して頂いた『世界への扉を開く"考える人"の育て方』を読んだ。

世界への扉を開く“考える人

世界への扉を開く“考える人"の育て方-国際バカロレア(IB)教育が与えるインパクト (大前研一通信特別版)

どのような本なのかと言うと、大体、以下に引用した通りである。

「今の世の中には、答えのないことの方が多い。環境問題にしても、人とのつきあい方といったことにしても、答えはない。昔の日本は、知識が答えだった時代があった。たいていのことは欧米に範をとればよかったから、それらの国がどうやってきたかについての知識があればよかったのだ。しかし、今は九割のことに答えがない。しかも答えのある一割のことは、コンピュータがやってしまう。ところが今の学校では、あたかもすべてのことに答えがあるような教え方をしている。こういう時代に対応していくためには、教え方だって変わらなければならない。小学校の授業は、答えのない問題を扱い、今わかっていることや自分の知識から、自分の考えを構築し、それを他の人にわかりやすく表現することを教えていくべきなのだ。 答えのない問題をみんなで話し合う。そのようなとき、コミュニケーションがいかに大切かが分ってくる。コミュニケーションがうまくいって解決に至るときと、うまくいかなくて問題がこじれてしまうときがあることを学ぶ。」 (「新・大前研一レポート 」1993/11/18 講談社)【内容紹介より一部抜粋】

▲こうしたことがいくつかの具体例と共に、詳細に語られている。

通読後、おれも「考える人」になるために、考えてみた。少しだけ。

単純に考えてみれば、答えがない時代をどう生きるのかという「問い」は不思議である。人類が二足歩行を始めた時代から、問いと答えはコインの表裏一体であるにも関わらず、「答えがない」とはどういったことだろうか。

たまに訳知り顔で、「答えなんてないんだよ」という人を見かけるが(本当はそんな人には、実際に会ったことはない)、そういう人たちの70%はおそらく何も考えていない。もちろんこれはおれの偏見である。

それでは何が言いたいのか言うと、「答えはある」のだということだ。「答えなき時代」というのは、キャッチコピーのようなものだ。ただ、その「答え」がひとつではないというだけだ。

こんな当たり前のことが、深刻に語られてしまうほどに、この国の教育はあまりにも「ピュア」過ぎたということなのだろう。ピュアと言えば、聞こえはいいが、要するに、明治以降、我が国の全体の平均値を上げるためには、答えがいくつもあっていいというような教育は非効率だったということだ。この国の効率主義は今に始まったことではない。

それがいつの間にか、おそらく、100年の歳月を経るうちに変質し、「答えはひとつである」となり、それ以外は不正解であるという狭量を生み、さらには、思考という流れの梗塞をもたらし、気がついたときには、「答え」自体を認識する能力が退化してしまったようだ。

実に「自然な」プロセスである。

そんな自然のプロセスが、今この国を衰退せしめている。典型的な生活習慣病を見ているようだ。生活習慣病の治療の根幹は、生活を改めることしかないが、それをしないで、対症療法ばかりしていても仕方ない。

「だから、生活を改めようではないか」というのが、本書の言わんとすることである。

考えない習慣から、考える習慣をつけようではないかということだ。

こう書くと、われわれの多くは何も考えていないように聞こえるが、その通り、考えていないのだ。答えがひとつしかないと考えている限りは。しかもその答えも大昔に誰かから教わったもので、自力で考えて導き出したものでもない。単に覚えただけで、それを鸚鵡のように繰り返しているに過ぎないのが大方のところだ。

このまま行くと、話が脱線しそうな予感がするので元に戻そう。

現代は「答えなき時代」であるという。

なぜか。

問わないからだ。

すでに書いたが、問いと答えは表裏一体である。答えがないのなら、問いもない。シンプルな話だ。

あなたが答えを得られないのは、問いがないからだ。あるいは、適切な問いを立てていないからだ。

これまでの、この国の教育は、問いを立てる能力を培う「余裕」がなかったのだろう。

裏を返せば、今、その「余裕」がようやくできたということだ。これも欧米に追いつき追い越せと頑張ってくれた先人のおかげであることは忘れるべきではない。

忘れるべきではないが、いつまでも先人の導き出した答えを覚えるだけで渡っていけるほど、グローバル化の海は甘くない。そもそも海は塩辛い。

何れにせよ、あなたが問えば、答えは必ず見つかる。あなたが問わなければ、答えは永遠に得られない。

グローバル化は、そういう身も蓋もない事実を、今後も次々と、われわれに突きつけるだろう。寄せては返す波のように。

そんな「海」で、生き抜くために必要なものは国際バカロレアをはじめとする「新しい教育」であると、「全人教育」であると、大前研一氏は説いているのだ。

何度も何度も説いているのだ。

それを何度も何度も聞かされたおれたちは、さも、「考える人」になったような気になっているのだ。

おれたちは、「知のデフォルト」の只中を生きている。

【おまけ】「そんなことはない。私は色んなことを問い続けている。しかしなかなか答えは得られない」という人も、もちろんおられるだろう。そんな人にお勧めしたいのは、あなたの「その問い」を穴のあくほど凝視してみることだ。そうすれば、その問いの中に答えが見つかるはずだ。ただし、穴のあくほど見つめていない場合はこの限りではない。