Out of your images/横浜ブルク13で映画『怒り』を観てきた
いつの間にか10月になっていた。
特にこれと言ってやるべきことも思いつかない日曜日の朝、カミさんと桜木町まで『怒り』を観に行ってきた。
思えば、カミさんと観に行く映画には必ず妻夫木聡が出演しているが、偶然なのだろうか。
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で、おれの感想は、「悪くなかった。まあ良かったかも」というものだが、個人的な性質なのか、幸いにして「怒り」というものを持続させることがないおれは、物語を観ている間、終始痛々しいものがあった。
それにしても、怒りとは何だろうか。
この映画において、最初、「怒り」は理不尽な暴力や偏見や差別に対するもののようだ。
しかし、物語が進むにつれ、「怒り」とは実は世間の偏見を受け入れてしまった登場人物それぞれの自分に対する後悔や不甲斐なさ、無力感の表現なのだろうと分かる。
そうしたネガティヴな感情はどのようにして生まれるのか。
ごくシンプルに言えば、世の中の冷たい視線を「信じて」、自分に嘘をつくことから始まるのだ。
そして、嘘をつくこととは、自分自身の真実から逃げるということ、自分自身の生から逃げることだ。
自分自身の生から逃げおおせる者は存在しない。振りほどいても無駄だ。必ず「生」はあなたの肩に手をかけるだろう。
時に激しく、時に優しく。
それは、等しく恩寵である。
「怒り」は恩寵に背を向ける自分自身に向けられる感情だ。それはそのまま、自分自身の生を生きろというサインとなり得る。
「怒り」は自分や世間が作り出したイメージの外に出るのだと知らせるサイレンだ。「その中」にいるべきではないという警報だ。
この映画は、そういうことをおれに語りかけた。
もう一つ、この映画を観ている間、断続的におれの頭の中に流れ続けていたことがある。
それは、安部譲二の言葉だ。
と言っても正確には覚えていないのだが、確か、生きるか死ぬかは10秒以内で決めるというようなものだった。
これは、自分自身の生を生きる上で、かなりヒントになるのではないかという気がする。もちろん『怒り』の解読のヒントにもなるはずだ。
生きるか死ぬかを決めるのは他の誰でもない、自分自身なのだ。
おれはそんなことを思いながら、映画館を出て、タバコを一服するために喫煙所に入ったが、ジッポーのオイルが切れていた。
だが、おれはそんなことで怒らない。