麦を食う秋
半世紀以上も前の話だ。
かつて、この国の大蔵大臣が「貧乏人は麦を食え」と発言し、問題となったという。
おれが生まれる前の話だが、なぜかこのフレーズはまるで映画かテレビの決め台詞のようにいつの間にか刷り込まれている。
「同情するなら金をくれ!」みたいな。
まあそんな程度に、つまりテレビを眺めるのと同じ程度に、個人的に反発を覚えた記憶も憤りを感じたこともないが、昭和の豆知識として知ってはいる。
言うまでもなく、この台詞は時の蔵相池田勇人が、予算委員会において発言した内容を新聞がセンセーショナルに書き立てたもので、実際には以下のようなものだったという。
「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副ったほうへ持っていきたい」
今、この発言をこうして眺めてみても何の感慨もない。何の感慨もないということは、どういうことなのだろうかとしばし黙考した後、「まあ池田勇人は当時そう考えたから、そのまま言葉にしたのだろう」ということと、「そんなに無茶なことを言っているわけでもないのではないか」ということが頭に浮かんだ。
ただ、当時(1950年)の日本の経済状況を鑑みてみると、かなりの反発を買ったのだろうとは思う。
戦後からまだ何年も経っていない、復興の途上にあるそんな時期、国民の多くはコメが食えなかった記憶が生々しく残っているそんな時期に、「貧乏人は麦を食え」とお偉いさんに言われたとなれば、「ふざけるな!」と思ったであろうことは容易に想像できる。
あるいは、当時の国民は「麦を食え」より、「貧乏人」に反応したのだろうか。
これが、「国民の健康のために麦を食え」であれば、歴史に刻まれることもなかっただろう。
もしくは、「麦は、ビタミン・ミネラルともにコメのほぼ2倍以上あるので、食え」であれば、「いいことを聞いた」と思っただろう。思わなかったかもしれないが。
しかし、あれから50年の歳月が流れた。50年経てば、価値観は一変する。
そう。
今や、麦を食うのは、貧乏人ではなく、健康に関して意識の高いセレブな人々である。
そして、おれも池田発言から、50年を経て麦を食うことにした。
プレミアムかつピュアな食事!
食物繊維は精白米の約20倍!
しかも経済の原則に副っている!
飽食の時代よ、さらば!
ただ、ひとつ問題がある。
大して美味くないということだ。
だから、おれはスーパーで「ちょっと雑炊」を買って、ふやかしたオートミールに加えて食べることにした。ついでにとき卵も入れたりしてみた。
- 出版社/メーカー: ヒガシマル醤油
- メディア: その他
- この商品を含むブログを見る
すると、まあまあ悪くなかった。しかもお手軽である。朝の忙しい時には重宝する。
しかし、よく考えると、おれは朝食をほとんど食わないので、オートミールを食べることで、いつもより一食余計に食うことになり、むしろ一日のカロリー摂取量は増えているのだった。
そういうわけで、当初この記事は、「オートミールを食べ始めました!」ということを書こうとしたのだが、結果としてカロリー摂取量が増えていることに気がつき、どうしていいかわからない状況にあるものの、今さら書き直すのもあれなので、50年経てば人の考え方も180度変わるのだということを言いたかったということにしたいと思う。
また、オートミールを食べ始めることで、日本人のコメ信仰というものはもしかすると戦後に生まれたものではないかという疑問も派生して、個人的には意味あるのではないかとも思っている。
そして更に拡大すると、「日本人なら〜でなくては」という様々な言質は、ただの思い込みや羨望に過ぎないことが多く含まれているのではないかという疑念もなくはない地点にたどり着き、昭和天皇の朝食はオートミールであったという記述をウィキペディアで見つけた時には、瑞穂の国とは何かという問いがおれの前に不意に立ち上がり、茫然としつつ、今度はあのオートミールにどんな味付けをしようかと考えるのであった。