Hello!2019
ちょっと目を離した隙に、2018年はおれの手をすり抜けてどこかへ行ってしまった。
だからと言って、何もなかったというわけではない。色々あった。
思えば、言葉が生まれた端から消えてしまうような感覚にずっとつきまとわれた2018年だった。
言葉として定着しようとする端から次の出来事、また次の出来事という風にあらゆるプロセスがどんどん進んでいった一年だった。
夏以降は特にそうした傾向が顕著だった。
この夏、生まれて初めて熱中症になり、病院で点滴を受けた。
そして、秋には実家の父親が舌癌になり、入院、手術その他の手続きのため、急遽帰省したりした。
幸か不幸か、手術は無事に終わったものの、性懲りもなく退院したその日から喫煙を再開し、紫煙を吐き出しながら、「わしゃ、なんで舌癌なんちゅう変わった病気になったんかのう?」と呟く父親への憤りは言葉になる前に空中分解し、乾いた笑いにしかならなかった。
分解と言えば、四半世紀にわたり使い倒したベッドマットを自宅の庭でバラバラに解体した。
▲剥き出しになったスプリングは電動サンダーで細かく切断した。おれはあらためて電動工具の利便性に感謝するのだった。
おれの夢の舞台はこうして宇宙に還っていった。
今は解体したベッドマットより更に年代物のペラペラの布団で寝ている。行く行くは床に直接寝ることになるのだろうか。
冬間近の11月には、昔の仕事仲間から数年ぶりに連絡があったものの、その内容は、体を壊し働くこともできず、現在生活保護を受けているといったなかなか深刻なものだった。
そうした不運の最大の原因は彼の長年のアルコール依存にあるのだと思うが、本人は相変わらず認めようとしないので、かける言葉も見当たらない。
そう。
本当に2018年は、かける言葉が見当たらないというような一年だった。
もしかしてこれは、己の言葉の使い途を今一度考え直せというメッセージ、あるいは、言葉というツールを正しく使えという啓示なのかもしれない。
そうしたことを一年かけてようやく気づく凡夫であるおれは、自身の言葉の使い途について塾考するためにも新しいガジェットが必要なのだと、無理矢理こじつけて、年末に売りに出されていたApple認定の整備済製品のiPadをAppleローンで入手したのだった。
新しい一年が始まった。
Hello! 2019