ROAD TO NIRVANA

愛とポエムとお花のブログ。ときどき書評。たまに映画レビューとか。

秋晴れなのにWeeping in the rain

Twitterのタイムラインにキンモクセイに関するものがあったので、キンモクセイと言えば、自分は柳ジョージの「微笑みの法則 Smile on me」を思い出すのだとツイートした。すぐに、youtubeで検索して観てみたが、自分の記憶していた歌詞と違っていた。おれはてっきり歌詞の中に「キンモクセイ」という単語が入っているものだと思い込んでいたのだが、キンモクセイのキの字もない。かろうじて関連を見出すとすれば、「光薄れた 9月の夕闇」というフレーズだろう。初めてこの曲を耳にした季節が秋でちょうどキンモクセイが満開でその香りと歌がリンクしたのだろうと想像するしかないが、いずれにせよこれは個人的には記憶のバグである。

しかし、少なくとも柳ジョージの歌のどれかにキンモクセイという単語があったはずだという思いは拭いがたい。そこでおれは他の動画もいくつか観てみることにした。

そして、「フェンスの向こうのアメリカ」という曲を思い出し、「そうだ。確かこの曲の中にキンモクセイという言葉があったはずだ」と確信して観てみたがまったく見当たらなかった。

見当たらなかったが、数十年来の自分の思い込みを知ることになった。

AREA ONE の角を曲れば お袋のいた店があった 白いハローの子に追われて 逃げて来たPXから 今はもう聞こえない お袋の下手な BLUES 俺には高すぎた 鉄の FENCE/フェンスの向こうのアメリカより

▲この「AREA ONE」のことをずっと「フェリア湾」だと思い込んでいた。

「そうか、アメリカは占領した土地の名前をこうして変えるのか…」とボンヤリ考えて数十年の歳月が流れていたのだった。まさに「おれ老いやすく、学なり難し」である。 さらにもうひとつ。

ネオンライトの空に飛びかう 黒い懺悔のハーモニー 銅鑼と JEEP の吠える声は 昨日と今日の道標 今はもう流れない 潮風と赤い CANDY 高い FENCE 越えて観た AMERICA

▲「 銅鑼 どら とJEEP」のことは、「虎とジープ」だと固く信じていた。理由は分からない。 こうして見れば、チャイナタウンと占領軍に囲まれた戦後間もない本牧を端的に捉えた歌詞なのだとよく分かるが、1,000km離れた地方の子どもには「銅鑼」など思いもつかなかったようだ。

今回の件でおれは記憶というものは当てにならないのだと言いたいわけではない。おれの記憶が間違っているのではなく、記憶のクラウドに保存したデータのタグ付けのチョイスに少々難があったというだけに過ぎないし、例え間違ったとしても全然気にしない。むしろこうしたことが明るみに出ることでずっと思い込んでいた「自分」が消えることへの快感のようなものを覚える。 思い込み、勘違いというのは誰にでもあるし、それが分かった時、人は笑う。

これが覚醒である。

しかしながら、あくまでも自分の記憶に固執する人も少なくない。そのような彼らは真実より虚構にしがみついている。それはそれで構わないが、どんな甘美な記憶だとしても、どんなに魅力的な信念だとしても、真実の足元には及ぶことはなく、真実ほど新鮮なものはない。それは自分を刷新してくれるのだ。

こうしておれの記憶の地図の中の「フェリア湾」は新たに「AREA ONE」という地名に更新されることになった。 それが、現在の本牧のどの辺りを指すのかは知らないが、おれが刷新されたのは間違いない。

記憶のクラウドから降る雨がおれをまた新しくする。