自分自身であるということ/映画『シュガーマン』を観て思う
先週、伊勢佐木町近くのミニシアタージャック&ベティで、「シュガーマン」を観てきた。
『シュガーマン 奇跡に愛された男』(Searching for Sugar Man)は、2012年のスウェーデン・イギリスのドキュメンタリー映画である。 1970年代初頭にデビューするも上手くいかず、商業的に失敗しアメリカ音楽界から消え去った数年後の1970年代末、どういうわけか突如アメリカから遠く離れた南アフリカ共和国で反アパルトヘイト闘争のシンボルソングとして爆発的にヒットしたアメリカ合衆国の歌手「シュガーマン」ことロドリゲス(英語版)に迫る内容である。 ウィキペディア
以前、友人に勧められて機会があれば観てみたいと思っていた作品だった。
内容は上記の引用にあるように、その歌に惹かれた南アの人々によって再び見出された一人の歌手の話だ。
一時はステージ上で拳銃自殺したというような噂も取りざたされたその男は本国アメリカで様々な労働に従事しながら「ひっそりと」生活していた。
で、請われてわずかその数日後には南アでコンサートツアーをすることとなり、各地で熱狂的に迎えられる。
ある種のサクセスストーリーと言えなくもないが、通常のそれとはいささか異なっている。
主人公であるロドリゲスの「存在感」というようなものが作品から感じ取れないのだ。おれは内心物足りなさを覚えつつスクリーンを見つめていた。
サクセスストーリーと言えば例えばシルベスター・スタローンの「ロッキー」のように、不遇の主人公が苦しい試練を乗り越え、最後に栄冠を手にするというパターンが多いが、この「シュガーマン」はそうした「苦悩」は描かれていない。
もちろんドキュメンタリーだからではあるが、スクリーンに映し出されたロドリゲスの言葉からはそうした「苦悩」は一切出てこない。少しはあったかもしれないが、おれは覚えていない。
ロドリゲスはロッキーのように早朝の公園を走ったり、ぶら下がった肉の塊を連打したりしない。
「ただ」、彼の歌を愛する人々によって探し出され、それを受け入れただけだった。
それを「奇跡」と呼ぶのならそうかもしれない。現に邦題には、「奇跡に愛された男」とある。
「奇跡」とは何か。
この作品における奇跡とは何を指すのか。
なぜわれわれはそれを「奇跡」と呼ぶのか。
言うまでもない。
主人公は、「何もしなかった」からだ。
何もしなかったにも関わらず、「それ」は起こったからだ。
この映画を観て、われわれが覚える感動とは、つまり「奇跡のプロセス」を目撃することで生じるのだ。
それでは、彼は、ロドリゲスは早朝ランもせず、肉の塊を連打もせず、売り込みもせず、一体何をしていたのか。
それは、娘たち、仕事仲間のインタビューによって次第に浮かび上がってくる。
「あいつはいつも真面目に働いていた」
「選挙にも立候補したわ」
「休みのときはよく美術館とかに連れて行ってもらったの」
「とにかくよく働いていたわ」
…詳しいことはすでに忘れたが、アメリカの音楽シーンから消えたロドリゲスは、様々な肉体労働を真面目にこなし、娘たちの教育にも熱心に取り組み、絶えず社会的弱者、マイノリティに対するシンパシーを持ち続け、政治にも大きな関心を持ち実際に選挙にも打って出るような積極的な面もあったという。
自分の音楽が受け入れられなかったからといって嘆くことも、自棄になって酒浸りになることもなく、ただひたすら目の前のことを投げ出すことなく取り組み続けていたのだという。
そうしたいくつかのエピソードはミュージシャンというより、なぜか禅僧あるいは修道士を想起させた。
また、その想起によって、あの「存在感」のなさは、ロドリゲスの自我が限りなく希薄であることに起因するのだと気づいた。
(もしかすると、ロドリゲスは「不遇」の時代のいつかに神秘体験を経験したのかもしれないなどと夢想する。)
そのようにして、何年も生活していたある日、南アフリカから届いた一本の電話によってロドリゲスは再び音楽を与えられることになった。
もし奇跡というものが起こるとすれば、それはこういう風に起こるのだ。
奇跡は自我の強化によって生まれるものではない。
恩寵は招くことはできない。それは努力を超えたところにある。
おれは、あらためてそうしたことを教えられた気がする。
そしてもうひとつ、印象に残ったのは彼が何十年というブランクなどなかったかのように、ステージに立ったことだ。
そう。彼にとってブランクはなかったのだ。
われわれが生まれてこのかた、われわれ以外であったことなどないのと同様に。
あなたがもし自分の人生に奇跡を起こしたいのなら、決して自分以外の何かになろうとしてはいけない。
この作品は観る者にそう囁いているようにおれには思えた。
I Wonder
収録: Cold Fact
演奏: Rodriguez
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