不定点観測 2014 ⑤ ゆきてかへらぬ/再訪中原中也記念館
僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒ぎ、風は花々揺っていた。
中原中也/「ゆきてかへらぬ」
帰省して2日目の8月13日、山口市湯田温泉にある中原中也記念館に行ってきた。
今年で開館20周年ということだ。
ということは、おれが初めて訪れてから、20年の歳月が過ぎたということだ。
何かの間違いのような気がするが、時の流れはいつもそんな風に過ぎていくのだろう。
あゝ お前は 何をしてきたのだと 吹き来る風が 私にいう 中原中也/「帰郷」より
熱心なファンではないが、中也のこの詩はことあるごとに、おれの胸を去来する。
▲エントランス前にこうしたプレートが並ぶ。実に実に抒情的だ。
▲ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。いまだにこのオノマトペが覚えられない。
▲誰もが心の中に、黒い旗を持っている。
▲中也記念館は、生誕の地に建てられている。
▲館内の写真はないので…
ここのところ長州に対する風当たりが強い雰囲気を感じるが、中也を始め、金子みすゞ、種田山頭火のような詩人・俳人を生んだ土地でもあることは言っておきたい。
しかし彼らの足跡を辿ってみると、どれも「まとも」な人生を歩んでいるとは言い難い。
言わば、ニート、メンヘラ、ホームレスの走りのような人たちだが、文学とはそもそもそういうもの、体制の埒外から生まれる。
そういう意味では、「体制」から零れ落ちる人が増加する一方のご時世だ。これからまた文学の再興のようなことが起こるのかもしれない。そう考えると、悪いことばかりでもないような気もする。
要は、どのレイヤーを選ぶのか、どのチャンネルにチューニングするのかということなのだろう。
▲中也記念館を出た後は、すぐ近くの井上公園にある足湯でひと休み。湯田温泉周辺にはこうした足湯が数箇所ある。
温泉に浸かる自分の生白い足と息子の陽に灼けた足を見比べる。
ふと、視線を上げると、小林秀雄の書による「帰郷」の詩碑が目に入る。
おれは何をしてきたのだと思い、空を見上げる。
雲ひとつなく真っ青だった。
黒い旗は切れ端も見えない。
ところで、最近知ったAMAZARASHIの曲の中に、中也の詩と同名の「ゆきてかへらぬ」というのがある。
こういう歌を聴くと、あらためて詩は光なのだと思う。
名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。
中原中也/「ゆきてかへらぬ」
- 作者: 中原中也
- 発売日: 2012/09/27
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
- 作者: 中原中也
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2007/10
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 11回
- この商品を含むブログ (13件) を見る