Here comes the globalism !
今のところそんなに関心はないApple Watchだが、そのCMを観てあらためて感じたのは、いよいよ「個の時代」なのだなということだ。
映像はそれぞれの人生のワンショットを垣間見せる。世界中の朝の様々な光景。
彼らはお互いを知らない。
それぞれの人生を生きている彼らには、Alone という言葉が相応しい。
もちろんそんな彼らの腕には、Apple Watchが巻きついている。それは出生時に産院で付けられる識別タグにも似ている。
生まれたばかりの赤ん坊の取り違えを防ぐためなのだろう、識別タグには母親の名前が書かれている。新生児にはまだ、名前という「個性」は与えられていない。だからこその識別タグだ。
世界中でそれぞれの朝を迎えた映像の中の彼らは、Apple Watchという識別タグを装着することで混沌とした世界でかろうじてその「個性」をキープする。
「個性」と「孤独」はコインの裏表だ。
「個/孤の時代」とはそのまま「グローバリズム」となる。
情報は瞬時に世界中に伝播し、われわれの孤独を浮き彫りにする。それぞれが何の関係もない「点」に過ぎない、あるいは過ぎなかったことを突きつける。
この、自分とは世界というディスプレイ上のひとつの「点」つまりドットに過ぎないということの自覚こそがグローバリズムの始まりとなる。
Apple WatchのCM映像からそこはかとなく漂う寂しさのようなものは、ドットの自覚にともなうそれ以外のフィクションの喪失によるものなのかもしれない。
卑近な例を上げれば、地方から都会に出てきた人間が抱くことのある不安や一抹の心細さに似ていなくもない。
人はそれまで築いてきた世界観が揺るがされることを怖れる。外国人や他人種に向けられるヘイトスピーチなどはその極端な反動だ。
かつて産業革命時に英国で発生したというラッダイト運動も同じような力学が働いたのだろうと推察される。
物語は生まれては消え、消えては生まれる。テクノロジーがその生滅の速度を加速させる。
ローカルな物語が消え、グローバルな物語が始まる。そしてその狭間にも様々な物語がある。それは色彩の階調を見ているようだ。
Apple WatchのCM映像はそんなことを思い起こさせる。
Appleはこうした「スライス・オブ・ライフ」という広告手法を好んで使うようだが、Appleの「ビジョン」を示すにはまさに適格な手法だろう。
こうした手法で作られた映画はまだそう多くはないようだが、今後は増えてくるのではないかという気がしている。
すでに朧げな記憶しかないが、『バベル』とか『21グラム』とか、ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』などはスライス・オブ・ライフのカテゴリーに入るのかもしれない。
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いずれにせよ、テクノロジーは Aloneness の自覚をこれからも促すだろう。そしてその都度、様々な反動やスピンオフも起こるだろう。だが、そのプロセスが止まることは、おそらくない。押しとどめることもできないだろう。
だから、諦めるしかない。しかし、それは満更捨てたものではない。
テクノロジーが、「人間本来無一物」という禅の教えにやっと追いついてきたというだけの話だ。
結局、何のことやらよくわからない話になってしまったが、要するに、「点」の自覚がなければ、「線」を描けないということだ。そして「思い思いの線を描けばいい」ということだ。
Apple WatchのCM映像はそんなことを思い起こさせる。
▼と、言いながら実はこんなCMもおれは好きだ。