LOVE or HATE ?
年始早々、サザンオールスターズの桑田佳祐への風当たりが強いらしいが、あるいはこれは桑田氏の「戦略」なのかもしれないなどと思わないでもない。
それではどのような戦略なのかということになるが、「抗議する人々」の存在をより周知させたということではないかと思う。これを「ポップ化」と呼びたい。
ポップ化は言葉を介在することなく、イメージによる訴求効果を狙う。言うまでもなくTVCMなどその最たるものだ。
で、その結果、「桑田氏の謝罪」という一応の結末を迎えたわけだが、そのことで桑田氏を見損なったというような声は今のところ寡聞にして聞かない。
あるとしても、「抗議する人々」サイドに近い人々の「してやったり!」という風な、個人的には不思議としか思えない声である。
なぜ不思議だと思うのかと言えば、彼ら「抗議する人々」が支持する現政権の見ている先に、彼らの居場所はあまり残されてはいないような気がする(資本主義的グローバリズムへのプロセスにおいて、ナショナリズムは弊害でしかない)からだが、それはおれの勘違いなのかもしれない。
話をポップ化に戻すと、今回の事象で桑田氏は謝罪したものの、その知名度によってそれまで「抗議する人々」にあまり関心のなかった層にも、そのような考えを持って他者を糾弾する団体が本当にあるのだということをあらためて知らしめたという事実がある。
このことが桑田氏の目的だったとすれば、その「戦略」はひとまず成功したと言えるのではないだろうかという気がする。
とりあえず花火を打ち上げて、謝る。もちろんそうしたやり方の好き嫌いはあるだろうが、すでに花火は打ち上げられて、「抗議する人々」が照らし出されたということだ。
ポップ化の作用のひとつは、「相対化」というのか「差異の無化」というか、そのようなものがある。それは内容ではなく、外面をクローズアップする。
ポップ化に晒された対象は、その内面ではなく、外面を問われるようになる。
その対象がアーティストであろうが、企業であろうが、学校であろうが、「抗議する人々」は、「クレーマー」という等号で結ばれて認知されていくということだ。
それを裏書きするように、コンビニや衣料量販店で店員に土下座を強要する事件がある。
ポップ化は一見バラバラな個別的事象をイメージによって等号で結ぶ。その過程で、各自それぞれの個別的主張は消去され、「クレーマー」という解を与えられる。大多数の人は憤慨したとしても他者に土下座を強要したりしない。ただ、そうした人を見て「ドン引き」する。ドン引きして、そうした人々と関わらないことを願い、そして通り過ぎる。
そういうことだ。
と、ここまで書いて言うのも何だが、これは前書きというか、本題のきっかけのひとつというか、まあそんなものである。
本題は何かと言うと、先に触れた話題と共に、娘が15歳となり、そう言えば、おれがサザンを聴き始めたのもそのくらいだったなと感慨深く思い、ベストアルバムのひとつである『海のYeah‼︎』をレンタルしたということなのだが、なぜおれは本題より前書きが長いのかはよくわからない。
- アーティスト: サザンオールスターズ,桑田佳祐,トミー・スナイダー,小林武史,門倉聡,斉藤ノブ,リアル・フィッシュ,片山敦夫
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 1998/06/25
- メディア: CD
- 購入: 12人 クリック: 136回
- この商品を含むブログ (170件) を見る
で、さっきザッと聴いてみたが、どの曲も懐かしく、当時の情景も鮮明に甦ってきたりして、ポップソングの持つ力にちょっと茫然としてしまった。
たとえば、「ミス・ブランニュー・デイ」はかつての友人が住んでいた新幹線高架の真下のアパートで、真夏、汗をダラダラ流しながらダラダラ過ごしていたことを思い出させてくれる。
あるいは、「C調言葉にご用心」は中学時代、頭のいいやつが、今で言うヤンキーなやつを「ピーマン」呼ばわりしていたこととなぜか結び付いている。
他に例を挙げるとキリがないが、こうしたそれぞれの記憶の情景を持つ人々が、全国に何万人も何十万人もいるのだろうと思うと、30年以上に渡ってラブソングを歌い続けるサザンオールスターズ、桑田佳祐氏にあらためて敬意を表したいと思うと同時に、「ポップ化」の持つ力というものに思いを馳せる一日であった。
LOVE or HATE ?
Which do you choose ?